ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記0314

沈丁花の花の香りを追っていくと、あるお宅の門扉の奥にやっぱりあって。
こういうのが嬉しい。花の香りは、身体の中を数っと通り抜けていく風のよう。
一緒に歩いていた娘が「春の香りだよね」と嬉しそうに言っていた。
香りを感じられる自分が嬉しくなる。

・母の病院で、先生から状況の説明を受け、母を見舞う。
今日の母は朝から調子がよくないよう。
過呼吸のように大きく息をしていた。
最初に声をかけると「はい。どうもすみません」というので、どうやら私のことも忘れているような気もするが、構わず耳元で話をする。左耳でも大きな声でゆっくり喋れば聞こえる。

ヘルパー講座の実習現場の経験は大きくて、認知症の方への接し方も初めてではない。自分の親がそうなってしまったことに対してのショックはあるけれど、だからといって母の尊厳がなくなるわけでもない。

私が耳元で「今日は少しあたたかくなったね」とか「少し寒いの?」とか聞くと、反応があったりなかったり。それでも声をかけ続けていると私が看護婦さんではなくみうちだとわかってきたようで、口調が変わる。

それを見ていた先生が「今日は朝から調子が悪いみたいでしかめっ面されていたけど、やっぱりご家族が来られると、こんなに表情が変わるんですね」と言われる。

声掛けの重要性は、私もこのところとてもよく感じている。
だけど、何も話すことがないことだってある。ずっとしゃべり続けているというのは、間の持てなさからおこったりもするから、無理しておしゃべりする必要もないと思っている。
それで、ずっと手をさすっていた。母が生きていてくれるから、できること。

今日は息子も一緒。息子にもこんな母の状況はみせておきたかった。

何かの拍子で、ぎゅっと手を握られた。今日は手の力が入らないようで、不安なのかもしれない。
お昼は座るのがやっとで、柵を頼りにはできないようだった。
柵を頼りにして座りたいのに、柵にかかっている掲示物が邪魔で手に力も入らない。それで掲示物を一生懸命はがそうとする母。
「これがすわるのに邪魔だもんね。今看護婦さんが来てくれるから、もうちょっと待ってね」と声をかける。共感もとても必要だと思う。わかってくれるという安心感をもってくれるといいな。

初めて母にご飯を食べさせる。
初めてなのに、初めてのような気がしないのは、子育てと同じだからだと気づく。
子どもにご飯を食べさせるように、口におかずやゼリーを運ぶ。
飲み込んだなというタイミングでもう一口、二口とすすめる。
子どもに還っていく母にしてあげれることは、こういうことしかないのかもしれない。
でも決して嫌ではなく、むしろしてあげれることが嬉しい部分もある。

・以前よりはいろいろ引きずらなくなった。あれこれ方法を考えたり、とにかく頭が考えつくままにして居た時よりは、心と頭の隙間は少し開けれるようになってきた気はする。パーフェクトではないが、「あ、今堂々巡りになっているな」とか「あ、今は気持ちいいことに夢中になってるな」とか、自分に意識が向けられるようになってきているし、できなかったことに対して「ああまた~」と自分を責めることが、以前よりは格段に減った。これは大いに褒めるところだ。

・出来たことに目を向ける。
晩御飯作った!

母のところにも行った!
お洗濯もいっぱいして、片付けもした。
日の光も浴びたし、家に帰ってまた出かけて陽の光を再度浴びた。
息子とでかけできた。娘とおでかけできた。
ヒモトレ調べた。
足の裏のケアを念入りにした。
息子のプリントを探し出した!笑

NEWSのCDでご飯作り。歌いながらステップ踏む( ´艸`)このちょっとした時間が愛おしい~。

今日はちょっとだけ心からワクワクした感覚が出てきて、久しぶりだなと思った。
黄色ちゃんの心がワクワクしてる。私はまだまだ自分のことばかりになっていて(不安のお世話、、、)黄色ちゃんの話を聞いてあげる余裕がないみたい。
もっと自分をよしよししたい。
そういえば、朝は二度寝(というか三度寝?)したので、朝から自分をすりすりする時間もなく跳ね起きたのだった。。。

アップダウンが激しい時間になった。。。
それでも私は生きている生かされている。
人と比べず、自分の厳しい物差しを手放し、自分のことを信じてみよう。