「今日こそは!と思っているのに、 重い腰が上がらない。」
というのが私にはあります。
そしてそれがなかなかできないと、
よくよく考えると、
でもそれは”「やれば素敵な自分」を自分で感じたい”、
>「1年後、2年後をみたときに、 やってなければ、何も今と変われない。 毎日積み重ねさえすれば、ものすごい 成果になる。」
>10年後、3年後、1年後、半年後を見た時に、 「それをやっていなかったら、 自分はどうなってしまうのか?」 「やっていたら、 自分はどう変われるのだろうか?」
とも子先生のメルマガに上記のような記述がありました。
そういう視点で考えたことをやる、ことと、
「○○しようと思ってたのになかなかできない」
そもそも比べるところが違うのですがね。
「私が今やろうとしていることは、何のためにやるんだろう?」
このことについては、結構私は考えています。
それで友人にも、「考えすぎ。
いろいろ思いつくことはあり、
結果、身体が持たず、結局断念することも多くなると「ダメな私」
時間管理が苦手なことは一つ大きな弱点としてあるのですが、
それにしても、今までの動き方は非効率だなと思い始めました。
「○○しようと思ってたのになかなかできない」
そこの整理が私はついていませんでした。
感情的なもの感覚的なものでやって楽しみたい満足したいレベルの
やりたいようにやり、
そして、未来の自分のために積み上げるものは、
>あるいは、整理して並べておくことで、 私が言いたいことはすべてここにある。 誰かが困った時に、 ここに来て、辞書を調べて つま付きから立ち直るきっかけを 見つけることができる。 それを読んで、私と直接つながりたい、 話してみたい、 という、入り口にもなる。 そんなことを想像しながら、 書いていました。
こういう具体的なイメージがあるといいなと思いました。
>やってて、休みたいときもあるでしょう。 そういう時は、休めばいいです。 罪悪感をもったりする必要がありません。 完璧主義な人ほど、 がんばって続けてたのに、 一度休んだだけで 「もう、だめだ、休んじゃったから」と 辞めてしまうひとがいます。 休んで、もう一度やる理由を考え、 やらなかったときのことを考え、 またやろう、と思えばいいし、 そこで、やらなかった時の未来でもいいや、と思えば ムリしてやらなくてもいいのではないでしょうか?
これ、正に私が陥りがちなものです。
私はまだ体力が落ちているようで、
そういう時は寝るようにしていますが、
そんな中で、変わらなければ、変わりたいとは思いつつ、
これも、書いて振り返るものとしてなので、
こんな日々でいいのかなぁともやもやしながら、
昨日は、
嬉しい楽しい時間を過ごしていたのに、一方で罪悪感も感じます。
まだ変わるための行動を起こしていないのに、
われながら、めんどくさい。
楽しい時間は楽しむと決めて没頭すればいいのに。
それでもまだ罪悪感をなんでそう思うのか特定して、
変わってはいるなとは思っています。