ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

なんで悲観的イメージしか浮かばなかったのかの仮説。

なんかまだいっぱい出てくるぞ。

「ねばならない私。」
「娘が頭が痛い」→「あらあら、大丈夫かな?」(心配性)「困った。ご飯作らなくちゃ」(私やれるかな?不安)→「鶏のみそ漬けストックあるし」(ほっ)→「息子帰ってくるし」(ほっ)↼イマココ

「評価されないと価値がないと思い込んでいる私。」

「はじめてのおつかいで、こどもがあおられていかされるのをみるのが嫌な私。」

「そうしなければみんなが納得しないという場に挙げられて、やらざるを得なかった私。
ケツまくれなかった私。」

すべてそっくり、癒したい。

正解とか不正解ではなくて、、、

いやもちろん、おそらく我慢しすぎたという間違いの道を選んでしまった私。
でも、やり直しはできるはずなのだ。

そうそう、思い出した。午前中に悲観主義だなと思い返しながら自分に夢想していた時に、なんで現実のことを思えないんだろうかと思ったわけなのだけど、
私は、自分がうまくいっているイメージを描くのを自分に禁じているんだ。おそらくね。
そう、ふと思ったんだ。

なあんだ。

難しいことでもなんでもなく、私は修道院の尼のような禁欲を、自分に課していたんだ。

私は幸せになっちゃいけないと、自分で呪いをかけているだけじゃないか。
それ、なんのためにやってるの?
私ってそんなに何か悪いことをしたの?

悪いことをもししたとして、でもそれは、自分を苦しめて生きなきゃいけないくらいのものなの?
ごめんなさいじゃだめなの?

私は幸せになっていいのだ。
きもちよくなっていいのだ。
楽になっていいのだよ。

謎がひとつ解けた。
万歳!

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