ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

素直な自分を取り戻すための私のトライアル

以下、とも子先生に当てたメルマガの返信の一部。
(とも子先生のメルマガ、ブログは「どうぞ、気軽に返信をください。」と書いてあるので、
エクササイズだと思って書いています。書くことは自分の中のモノを出し、新しい気づきともつながるので大好きです。)
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神様からのテストだなぁと常に感じます。
頑張ってその課題を解くことが答えになると信じていましたが、
そもそも受け取り方の時点で機嫌が悪いインプットになっていたきがします。
「またきた!」と。
その中でそういう波にワクワクする自分もいて、
私はきっと乗り切れる、、なんて、
そういうドラマで自分の魂をワクワクさせていた気がします。

でも私の心身は疲れ果てていて、こんなドラマはもういらないと思っています。
同じエネルギーをかけるなら、楽しい嬉しい方がいい。
その書き換えをし始めているのが今かと感じています。

昨日、病院の先生から電話をいただきました。
この先生は私が一番信頼を置いている方です。
研究のため現場に出られなくなったのですが、
院長でもあるた現場からの報告は見ていらっしゃるそうで、
私の血液検査で一つ数値が高いものがあったらしく、
体重も当初から10キロほど落ちているので、
次回来るときには検便を持って来るようにとのことと、
栄養の指示、栄養剤と薬の補充をしていただきました。
着払いですが、お薬も送っていただきました。
在宅でもこうしてケアしてくださるのがありがたいです。

とはいえ、私は不安になってしまいました。
せっかく大好きな先生が電話してくださったのに、
体調がとても悪かったということももちろんあるのですが、
機嫌が悪い受け取り方をしていました。
「え?先生、データが悪かったって、やっぱり私は悪い病気なのですか?」
って。
「あ、F先生❤私のためにわざわざ電話を!ありがたい。先生好き。そういう情報が欲しかったんです~」
ってすませばよかったのに。

そんな不安ど真ん中に居た私は、必死に素直セミナーの機嫌のところを再視聴。
すると自分が、機嫌悪い状態のどん詰まりにまさにいることが、自分の中で視える化できました。

機嫌が悪い状態の私は、外的要素に依存している状態。

痛い、つらいに依存している。もちろんめっちゃしんどいからそうなる。

けど、これだと思考と行動が「痛みとめるためにこうしとこう。痛くならないようにこうしとこう」になりがち。
となると、

自分の感覚を意識することがなくなる。

人のせい、痛みのせい、状況のせい。

諦めモード

いいっていうからやったのに~(被害者モード)

自分の感情に飲み込まれる・・・

正直、体が辛いときに、自分の感覚はどうかって考えるのものすごく難しいです。
辛いが一番ですから。
そこでどう考えるかなんですよね。そこが難しいです。
自分はどうなりたいか、もちろん治りたいけど、
治りたい、痛くないようにしたいよりも、
「私は素直になって、肩を張らずに楽に生きたい。
自然に思い切り息をすい、自然のままに生きたい。」

今は切実にこれです。

この目標設定がいいのかどうかわからないのですが、
今の私にはここかなと。

そしてそのためにはどうするか。
今、ほぼ家で寝ているので何かするということも少ないのですが、
痛めつけた体をいたわり、肩の力が入っていたら、その度に緊張を抜き、力を抜く。
そこを必要以上責めない。
長年の癖は体に染み付いてるので、一つずつ優しく労ろうと思っています。
 
今日あたらめて私はどんなことを求めているのか?考えました。
動きたいと思う自分は常にいましたが、
その大元に、今の自分は
もう怠けるだけ怠けてゆっくりあったかいところでのんびりして笑っていたい」
と出てきました。おそらくこれが私の本心だと思います。
それを土偶価値観が監視して縛っていた気がします。

仕事も思いつくものは、ほとんど休み宣言をしました。
母の介護も弟にお願いしました(まだ負荷もありますが、動けないので無理と病院にも伝えるつもりです)
夫の体調もいまいちなようですが、私の状況も彼に伝えました。
(彼も大変だからと思いずっと遠慮して言わなかったのですが、
言わなければわからないと思い、できるだけ話をするようにしています。聞きもしています)
遠方に行っていた娘が、この状況を鑑み、帰ってきてくれています。春先までいてくれるようです。
彼女の仕事も一旦ケリがついたことと、うちには受験生の息子もいて、
家事や介護の一助にと言う気持ちで帰ってきてくれたので、
私の気持ちがかなり救われています。
私が助けを呼んだ気はしています。

自分ではできる限りの助けを周りに求めました。
あとは私なんですよね。

今日は「イタさを見ることなしに素直になれない」を見直します。