ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

感冒性胃腸炎じゃなかった!?

9月から年末まで3回、いや4回の感冒性胃腸炎を繰り返した、、と思っていたのだけど、
今日どうもその病名が違うのではないかということが発覚した。

年末、チキンを焼いて食べた数日だけ元気だった私の胃腸。
26日夜からぶり返し、絶食をもう何日しただろう。
補充の酵素ドリンクも、正月休みで大びんを消化してしまって2本目に入った。

今日はどうも脱水的な感覚があったので、
昼から、定期的に診ていただいているクリニックに連絡をして、
行ってきた。

ここはもう10年通っていて、看護師さんとも親しく会話をしていたので、
今日の先生は初見だったけど、私の情報も先生にも筒抜けでw(ありがたいことです)、過去の既往症や現在の私の環境からみても、これじゃないかな、、と診断してくださった。

過敏性腸症候群

過敏性腸症候群(IBS)ガイド|患者さんとご家族のためのガイド|日本消化器病学会ガイドライン


自分的にも、そうだろうと思う。
母が最近大腸がんをやったし、50オーバーなのでそっちの因子もないことはないだろうけど、この半年の母と夫の病気の同時多発テロを受けた私のストレス度はもうハンパなかったので、それはやっぱりそうなのだろうと思う。納得する。

弱っていたところに感冒性胃腸炎かと思ったけど、血液検査で炎症反応がマイナスなので、それは考えにくいとのこと。そうだったのか~。

でもお腹痛いし下ってるし。おなか痛いのの波があるし。
体重も10キロ減っちゃったし。
という症状と現状についてをどうするか、
お薬の使い方をどうするか、先生と相談し、対処の仕方を決めて、帰ってきた。
(夫に送り迎えしてもらった。ありがたかった。)

とりあえず、点滴をしてもらって水分確保できたのがまずよかった。
そして、この2時間弱を黄色ちゃんとの時間に充てることができたのがよかった。

さて、黄色ちゃんとの時間のことをまだ書いていなかったので、まとめて書いておく。
これは私の備忘録なので、読んでらっしゃる方はよくわからないかもしれないけど。

昨日、黄色ちゃんとの対話を求めて、私は自分のお花畑に潜っていった。
最近はすぐにたどり着ける。
でも昨日はなんだか視界が暗かった。
黄色ちゃんの姿もみえない。
「きいろちゃーん!」と叫ぶと「み。の思うところにいるよ」と声がする。
それで「あ、布団の中かな?」というと、
布団があらわれて、そこにくるまった横に黄色ちゃんがいた。
「でしょ?」って言いながら、一緒にくるまってくれる。

黄色ちゃんにいろんなことを聞いてもらった。
自分が陥っている今の状態について。
いつもは私がリードしなきゃって思ってたのに、
今回は私が完璧にヘタレているので黄色ちゃんがおねえさんみたいだ。
最後に湖のほとり(いつもよりもっと右奥)のところに二人で座って、
「だって不安なんだもん」と泣くと、
肩を貸してくれながら「疲れてるんだよね。もう寝り。」と言ってくれた。
「そうか、私は疲れてたんだ。もうくたくただ~」と思いながら眠った。
こんな寝入り方もあるもんだと思いながら、気持ちよく眠れた。
博多弁なんだよな、黄色ちゃん( ´艸`)


今日の点滴の時間、また黄色ちゃんのところに潜っていった。
今日も「黄色ちゃーん」と呼ぶと、木に二人で作ったブランコのところに居た。
ブランコをぶんぶんこぐ黄色ちゃんに呼ばれて一緒に乗った。
ハイスピードでこぐ黄色ちゃん。
こないだは具合悪くなりそうだったけど、今日はそうでもない。
胃腸少し落ち着いたかな。
キャーキャー言いながら、降りた。

お花を摘むことを提案して、黄色ちゃんは黄色の花ね、私はピンクねといって摘む。
「白いお花が気になるけど、白ってなんだか縁起が悪そうだよね」と私が言うと、
黄色ちゃんは「そんなことないよ」といい、
黄色とピンク、そして白を混ぜた花束を作ってくれて、私にプレゼントしてくれた。
可愛いブーケ。
ほんのり香る。

今日は一緒に私の小さい頃に戻ってもらった。
どうやれば行けるのかわからなかったけど、行こうと思ったら行けた。
ふ―っと潜った。

佐世保の家の中。母が若い。母の表情はみえない。
私はたぶんあかちゃんで、でも泣くことしかできなくて、
でも心の中は「おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん!」だった。
こんなにも私は母が好きで、そして抱っこしてほしいと思ってた。
そして母をとっても心配していた。爆泣。

母は物心ついたころから内職をしてばかりで、あまり抱っこされた記憶はない。
内職のビーズのし上がったものを、小さい私はズタズタに切ったそうだ。
そういう話をふと思い出した。
申し訳ない話だ。
でも私の抵抗だったのだと思う。私をみて!って。
その辺までは自己主張出来ていたんだと思う。

母のひざに恐る恐る座る。母はだっこしてくれた。ぎゅってしてくれた。
嬉しい。
そして泣けてくる。

病院のベッドに居る私が泣いている。
小さい私と今の私が同化しながら泣いている。

もっともっと、一緒に居て愛情を感じたかったんだよね。
もっとぎゅっとして、って忙しい母を見てたら言えなくなったんだよね。
でももしかしたら、ぎゅってしてってもっと言っておけば、
母も楽になったかもしれない。言わなきゃ示さなきゃわからないよね。って思った。

私は自分の物心ついてから、幼少の頃は悔しい時しか泣いた記憶がない。
泣くことは、自分の心を揺らすことだから、極力避けてきた。
そんな私が51になって毎日のように泣いている。
これ自体がもうすごく変化している。

前の私じゃない。