ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

お題が明らかになった~正面を向くしかない

精神的に落ち込む波がやっぱりくる。

ともこ先生の記事から、
私の固定観念、こうあるべき、価値判断が一番根本原因だと、自分でも思うし、
先生からもそう指摘があった。
だよねぇ。

夕方からおなか痛いし、
娘もおなかくだってるときくと、彼女に家事を任せていたので、ぐっと不安が戻る。
心の中「娘は大丈夫なの?」
(以前あった、共感モード~その痛みを勝手に味わってしまう~は随分外れた。ほっ)


そして、夫も調子はいまいちそう。


心の中「ううん、私がご飯を作らねばか?」


味噌汁が作ってなかったので、そのくらいできるかと思って鍋に水を入れたが、とたんに具合悪い。。。。
お湯だけ沸かして、椅子に腰かける。
しばらくすると、今日前所属して他チームの初蹴りにいき、足腰筋肉痛の息子登場。
「玉ねぎ切って~」とお願いして、味噌汁作ってもらった。

心の中「うん、彼がいる。まだうちは大丈夫だ。」


心の中「まあ、味噌汁なくてもどうにでもなる。」
(味噌汁飲みたかったのは私。)

ああ、不安が出てきた時、好きな言葉を言う作戦を思い出せなかった。
今度やろう。

小さい頃からの「こうあるべき」については散々見てきたはずだった。
でも、再度それを視える化してみたほうがよいのかもしれない。

でもちょっと体力なくなってきてる。。。

と、昼に気づき、皆が外出していなくなったこともあって、昼は寝た。
自分ではそう思ってなくても、不安でがちがちになってるみたい。

ゆっくりするって、難しい。

ってところが、そもそも問題か(;;)

それで、一番私が力の抜ける、イメージの世界に降りて行った。
いつものお花畑。
(ここからはまた長くなるので、別に投稿することにします)
黄色ちゃんとの会話は、いつもとは逆で、
私がめそめそし、黄色ちゃんがメンター的にしゃきしゃきしている。
でもありがたかったなぁ。

「もう、疲れ切ってるんだから、少し寝な。」って言われて、
しくしく泣きながら、肩を貸してもらいながら寝た。
ああ、こういう寝方もあるんだと思いながら。

寝ながら、寝るイメージってねぇ。
でも、本当なんだよね。私の心は本当に疲弊してしまっているんだなぁ。
と、ここでやっと気づく。
心=身体の声なんだろうね。

とことん、ここを休ませる。
でも心は納得しないと休めないところも大きくて。
だから、私はずっと検索を続けていたわけで。

で、最初に戻って、
私は何を不安に思っているのか。

まずは、健康に不安があるのだ。
そりゃ当然。ここまで悪くなってる。
いつもなら湯気でみえないお風呂の鏡が、
今日ははっきり見える。
もうげっそりとしてしまったからだを見せつけられる。

実はこれには今日ヒントがあって、
12月のカレンダーの言葉と新しい1月のカレンダーには「元気」という言葉が入っている。
12月入った時には、その言葉を見るのが嫌だった。
「どうせ私は元気じゃないもん」
「元気が取り柄です、なんて言える人はいいよね。
私には一生縁がない。」

と決め込んでいる私が居た。

この病気が進むにつれ、
「ほんとだなぁ。元気って大事だよな」と思うようになった。
切実に理解した。
身体が不調でも動くって素敵。なめてた自分の身体。

1月のカレンダーも「元気」。
その前にFBで流れてきた月と日の合体で言葉を作る占いのようなもの。

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2月18日は、「とにかく一年中 強くなる」

!!!
驚いた。
が、それに驚いた自分に驚いた。

私は、自分が「自分には強くなるなんてありえない」と勝手に思い込んでいたのだ。
これはおそらくもう小さい頃から。
言われ続けてきたし、自分も病気になることで自分を愛される対象にしようとしていた(気がする)。今思えばそういう思考だったのかもと思う。意識的ではないけど。

「一年中強くなる」って言われてるんだから、そうじゃん。
私の運勢すごく祝福されてる!って、嬉しくなった。

今は、要らない古い細胞、沁みついてる細胞が細菌と一緒に排出されているのだと思う。
新しい細胞は、幸せなぷくぷくした細胞だ。

それは単純にそう思う。

ココまで書いたら、ちょっとすっきりしたので、君の名はをみてこよ。

お題の一つは少し消化、かな。
もう少し見て行こうとは思う。ここ根強いので。