ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

私の中の私~きいろちゃんとの出会い(再会?)

いつの頃からか、私の中には壺に入った女の子が居た。
その前にはおかっぱの女の子がいて、彼女は壺には入って居なかった。
19歳の時に足を折って手術した時に彼女は出てきて、
トンネルの中で出ようともがく私の道案内をしてくれた。
壺ではないがトンネルには居たのか。
壺の中にいる子とトンネルの中の子が同じ人物なのかというと、
結構近い存在な気がしている。
その子たちは誰なのか。
私には正直よくわからなかった。
過去世の自分のような気もするし、
私の前に水子で亡くなった子のような気もしていた。

先日、パニックになっていた私が受けた育子さんのカウンセリング
(育子さんのブログはこちら↓ カウンセリングにご興味のある方はどうぞ)

ameblo.jp

で、
育子さんは壺に入った私のことを、

「それは壺でも自分を守る壁でもありません。

み。さんが感じておられるのは、”無責任に対する怒りと罪悪感”です。
”都合の悪いことに蓋をすること、逃げることへの怒りと罪悪感”です。

つまり、ご自身はけしてその安全な居心地のいい場所には入っておられません。
一度も。

そういうところに
入ろうとすること。。。つまり

苦しいことから
逃げようとすること、

痛みを避けること、への
ご自身の監視、脅迫、被害者になることへの抵抗、
責任逃れの恐れや不安だと思います。」と説明してくれました。

壺に入っていた私が感じていた思いは、
「静かでほっとする。でも寂しくてたまらない」という思い。
壺と私の感情はそういう関りなのだと、やっと合点がいった。

自分の思いは置いておいて、
強い責任感、正義感、正しいことは悪に屈しちゃいけないという気持ち、
なすすべはなくとも気持ちは負けちゃだめだと、それだけを心の支えに、
だけど武器もなくなすすべも考えつかず、孤独に戦っている、
その寂しく切なく、怖い思い。
そんな自分が壺の中にいるのだった。
壺は出てもいいし出なくてもいい。でもそれすらもわからず居る。
出たいけどどうやったら出れるかもわからない。
そんな思いでいた。

よく出てくるキーワードは「やりかたがわからない」だ。
こうしたい、はある。
目指すところもある。でもそのための方法論がわからない。
つながらない。
こうしたいがあるならそうすればよいのだろう。
やっているつもりだが成果が得られない。
そうするとどうすればいいのかわからなくなる。
今の私はそういうところにいる。

育子さんから聞いた私の魂の設計図の話で、私の特性は責任感が強く、
献身的、家族愛、調和を重んじる、、とつらつら出てきたが、
それとはまた別な特徴として、「無邪気」「衝動的」「無責任」「こども」「すねる」というものもあるらしい。
聞いて、とても納得した。

不安がいっぱい襲ってきていてもたってもいられなくなる時がある。
これも波と言えば波だが、いきなりやってくる時もある。
そしてこの波がいつまで続くかわからなくて、いつまで頑張らなければいけないのか、
とにかく精神が持たなくなることがある。
それが今回だった。
身体にも精神にもダブルでやってきた。
これはもう降参しろとでもいうくらい。

生身の私は私で、何をどうしろっていうのよ~って思っていた。
何をどうすればいいのかがわかっているならやっている。
でも、どうすればいいのかわからなかった。
なので育子さんに体を治すのが先ですよと言われつつも、
この不安をどうにか落ち着かせる方策が知りたくて、
魂のことや私のミッションや性質を聞いていった。
何かヒントがないか、何か今できることはないのかと。

先ほどでてきた別な特徴の子どもっぽい私の性格は、
実は私には心当たりがある。
小さい時の私だ。
私はそういうおきゃんな感じで生まれてきた。
好奇心が旺盛で、
そのものの本質を知りたがった(これは今でも)
本物を見たかった。
安心して自然からそれらを享受されたかった(らしい。これはあまり認識がない)

でも、私が何かすると、何か言う人がいる。
親戚になんやかやいわれる
すねると「ほらすぐへんじんづいてから」と言われる。
私がなにかすると、母が何か言われる。母が悲しむ。
そう思った私は、そういう自分を封じ込めた。
多分それが3歳前後。
私の記憶が途切れている時期とそれは合致する。

封じ込められた「私」のこども部分は、成長をやめたのかもしれない。
私の中にそのまま残ったその子が私のインナーチャイルドそのものだ。

それが今回よくわかった。
成り立ちはどれが正しいのかわからないけど、
とにかく「居る」ことがはっきりした。

育子さん曰く、
この子はさみしがり屋でこども。
彼女はずっと封じ込められていたことを怒ってるし、
いつなきものにされるかとびくびくしていたそう。
だから、これからはこの子に「居ていいよ」「なにがほしかったの?」と聞いてみるといいと言われた。
欲しいものを与える。したいことをする。与える。
子どもを育てるように、与え、しつけていくと、
きっと私の力になると。
この子は瞬発的な力を持っている。
だから選択肢の選び方もその子に委ねる事ができると。

「色」でいえばその子は「黄色」らしい。
父親は私の色を黄色と言っていた。なるほど、そうか、やはり。
今の大人になった私の色は「ピンク」。
ああ、それもよくわかる。最近自分が欲している色がピンクだ。

そんな話を聞いて、
おさ湯を飲む時には「ピンクのおさ湯」「黄色のお水」とイメージして飲んでいた。
すがるような思いもあるが、そうするほうが楽しいからだ。
正直きつくて楽しいどころではないとこもあるけれども、だけど、苦しみの中にも、なんだか楽しげな「ふふっ」って思うところが、お水を一杯飲むにもあるというのは、いわせぬ幸せ感が出てくるものだ。

そんな数日を過ごし、ある夕方、もうどうにもきつくてベッドに寝転んでいた。
ふと、私の中のあの子のことを考えた。
名前がないと呼びかけにくいなと思って、
ふと「きいろちゃーん」と呼んでみた。
頭の中では、すでに彼女に黄色い帽子とスモッグを着せて。
なんだか体がびくっとした。
なぜかおへそのあたりからうわぁっと幸せ感が湧いてきて、
顔がかってににやけてきた。
なんだこれ?
もしかして、小さいあの子が喜んでる??
もう一回「きいろちゃーん。名前気に入ってくれた?」と聞くと、同じようににやける。嬉しい。
そっかぁ、ニックネームでもつけてもらえると嬉しいもんなぁ。
そういうことかぁ。
と同時に、私の中に安心感が広がって、涙が出てきてしまった。
ああ、もう一人じゃないんだなぁって。
この子と一緒に生きていけばいいんだから、大丈夫だって思った。

この体感は、いきなりでどう言葉で書いても他者には理解できないだろうけれど、
確かにあるという感覚があった。そして私はそれを持って生きていくのだと覚悟ができた。

育子さんにその数日前に言われていたことを、ノートに書き留めている中に「腰を据えてみ。の人生を生きていくと決めると、その子が動き出す」と書いてある。
第一歩かな。

その後「お洋服着る?」とか「黄色いお花あげる」といってもなんだか反応は鈍い。
そのあとも、しゃきっとした返しがないので、若干不安ではあるけど。

育子さんが言う「ずっとなきものになるかもしれないと不安だったから、
安心して眠ってるんじゃない?」というのに納得して、その案採用!
私も同じようにいっぱい寝て体を立て直そうと頑張っている次第。
まあ思うようにしゃきんとはいかないけれど、
おかゆから普通のご飯にしてみた今日。8日目だし。

ちゃんと毎回レスポンスがほしいけど、
まあ、うつらうつらして彼女も体力を整えているのだと信じるならば、
それがそうなるだろうし、私も一人で生きるのではなく、
自分の中の彼女と生きるということなら、
私の中の二つの性格がうまく合致してつじつまが合う。
これってどっちの力もうまく使えそうで、とても都合がよい。

こういうピタッと都合のいいことって、私の人生の中にはいくつかあるのだけど、
もうそれはまぎれもない真実なので、疑いようがない。
都合のいいことは、そう信じればよいのだと思う。

いつか黄色ちゃんと渡り合ってうまく問題解決したい。
それが最高に幸せな瞬間である気がする。

追記:
黄色ちゃんに黄色の帽子とお洋服を着せて(私のイメージの中で)
「黄色ちゃーん」と呼んでいたのだけど、
そのイメージととってもそっくりなものを見つけてしまった。

www.mother-house.jp
私が大好きなマザーハウスの山口絵理子さんの「ウチ」ちゃん。
そうか、彼女には私と似た部分があるから、
私は彼女に惹かれるのだと納得しちゃった。
今度、来福されるときに、黄色ちゃんの話をしてみよう(^^)