ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

伝わらないもどかしさ

私の選択は、結局のところ、したいかしたくないかに尽きるようだ。
好きか嫌いかともいえる。
好き嫌いや感情を仕事に持ち込むなとは、ずいぶん言われたことがあるが、
でもさ、人間ですもの。好き嫌い、したいしたくないはあるんじゃないのかな。
それを、組織では、とかいう方が私は信用しない。

と書いたとたんに、もうビジネス社会では生きていけない人になるんよね、私。

その組織を作ってるのは誰なん?男でしょ?
あんまり男性批判したくないけど、あまりにも今の社会って男性に都合がよすぎない?
男性が、男性の特質である論理性で物を語るならば、女性の共感力のような女性ならではの強みも共存できる世界にしていけば、補完し合える強い組織、強い社会になると思うの。

でも、既存に生きている人には、そんな言葉が通用しない。
「そんなこといったって、あなた資本主義を変える気?」
「今の社会の中で生きていくことを考えなくちゃ」

私もそれは一理あると思って、だから頑張ってきたんじゃない。
向いてないけど、ロジカルシンキングもやってみたし、講座の企画も頑張って望まれるものを作ろうとしたよ。でもなんか違う。なんか私のしたいのと違うんです。
違うからしないのかというと、すべきだろうとは思った。でもね、ずっとの違和感が私をもう立たせるのを辞めたの。
生きるか死ぬか(精神的に)迫られたの。

世間的には、男性のやり方でやるのが生き残るには一番いいんだよね。
でも私はそれが一番自分にかけているところで、
それを埋めないと自分には価値がないと思わなくてはいけない今の社会の在り方に大変違和感がある。
それを埋める努力をしないと、わがままだと言われる。
でも、だってそもそもそんなところで上に上がろうなんて思ってないもん。
それが、今回の連続嘔吐下痢症状で、はっきりした。
私は今の仕事がしたくないのだ。
違和感を思いっきり感じているとともに、そこで自分のやり方でやることが認められない=自己否定という図式をどうしても崩せなかったのだ。
頭では、わかっている。こうしてチャンスをものにすれば、実績も上がり評価される。ぎりぎりな状態でも私はやれるだろう。フォローもあるだろう。
でもこのところ、やってもやっても達成感がない。できた感じもしない。
自信になったか、ならないわけではないが、ステップアップのステップにならない。なんでだろうかと考えた時に、自分のキャリアアンカー、自分の志、自分のLead the Selfと紐づいていない、納得感の少ない自分に気がついた。
自己肯定感が高まらないのは、肯定されない環境で仕事をしてるからだ。
それでもいい、お金を得るためだと割り切ってきた時期もあった。
その時は関与も少なかったけど、今は違う。社員として、があまりにも大きかった。
まあ、いい。今はもうそれは終わりにすることになったし、あと1週間で残務を切り上げればよい。
結果的に消去法。

これはよくないと言われたけれど、でも生きていくを選んだので、消去法ではないね。

結局、今の自分が満足するということをおろそかにしては、前にも進めない。
やりたいことできることからはじめ、調子を出していく。やりたいことができる環境なら、多少の+αくらいできていく、その経験が力になることはある。
だから、飲み込むくらいの大きな流れを作りたいわけで。自分の中でね。
今はそこまで至っていない現状にあるのでしょう。
だから自分に回帰しないと、どうしようもない。

こういうの、男の人にはちっとも伝わらないんよね。
いえば言うほど絶望感を感じるので、辞める決断をした時には納得できそうな理由を見つけて言うことにした。それはそれで誤解を生むんだけど、仕方ないね。