ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

逃げてもいい 2019.2.13

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スランプが続いてるなぁとは感じていた。

F先生の診察日の後も、なかなかしゃきっとする日が少なくて。

そういう時は、たいがい体の調子がいまいちだ。
からだの調子が悪いからしゃきっとしないのか、ストレスがあるから体に来ているのか、どっちもどっちな気はしている。

どうにかしたいなと思っていて、
ミユさんのブログにあった、

本当に欲しいもの、かつ自分でしか取れないものは自分で取りに行こう。
そうして君よ、荒野で自史無双の己に出会うがよい!!

これをいつも自分に突きつけられる自分でいたい。ああ、弱き自分よ・・君のためなら、泣きながらでも進もうではないか。

 という言葉に、とても共鳴していた。

note.mu

彼女の武士のような雄たけびが好きだ。
私の中の正義感をとても鼓舞させる。

が、少し思いとどまった。

今の私は、家の中や私自身の体調(主に口の中)のことでストレスを抱えている。
自分で決めてやり始めた書くことについても、ストレスに感じている。
したくないわけでは決してないが、
からだが思うようについていかない。
集中すればするほど、非常に疲れてしまうのだ。
きっとフロー状態は行きつ戻りつくらいが、私にはちょうどいいのかもしれない。
そして、そこにたどり着くには、
まず自分の体調をそれに耐えれるくらいに
チューニングしてあげないといけないのだと思いいたった。

私は、私の自分らしさの中に、大きく「正義感」が鎮座している。
たまに、戦場で負け戦とわかっていながら、
丸腰ででも最後まで忠誠を尽くすために野っぱらを走っていくような戦士がいるが、
多分あれは私だ。

でも、そこに気づいたので、それは止めようと思った。
命を無駄にしてまで守らねばならない正義感って本当なのだろうか?
こういう場合には、逃げるのが勝ちなのではないか。

今日、お皿を洗いながら「逃げてもいい」というワードが降りてきた。
F先生からも言われていた言葉だ。
無駄に戦わない。力は有限なので使うべきところを決めた方がいい。
からだがきついのに、続けることに固執する必要もないのだ。
元気になれば、またいくらでも書ける。
そもそも、書きたくて始めた企画だ。このままお蔵入りにはならないし、
それはしたくない。

自分を大切にするということは、ミユさんも書いているが、

「わたしは自分を本当に大事にしていると、いつも自分史上無比の満足感を更新していけるものだと信じている。」

ということだ。これには私も同意している。
やり切ったことの満足感もあるが、自分を大切にしきっているという満足感も大切な気がしている。
なので、気が乗らない時には、思いっきり自分の趣味や、
好きなことのフローに入り込んでもいいと思った。
罪悪感を感じずに、その時は思いっきり身体や五感を満足させること。
そうしていけば、からだは元気になるし、その他のこともやる気がわいてくるはず。

そういう経験を何度もしているから、そこは実感を持って信じられる。

歯の調整はあと2年続くし、いろんな外的要因もあって、
私の心や体が揺さぶられることは多々あるのだけど、
そういう時は嵐が収まるのを待つしかない。
いろんな事やって、状況をみながら、
いい塩梅を感覚的に調整していくのが一番なんだろうと思っている。

先日、お皿を洗っていて(このシチュエイション多い)
きいろちゃんに「こうふくしなー」と言われたのだが、
「こうふく」は「降伏」でもあり「幸福」だ。
その通りだよーって、また遠くできいろちゃんが叫んでる。

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美しいものが好き

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今日、いつもの道を歩いて帰宅中、突然香ってきた懐かしい香り。

もう沈丁花が咲いていました。今年は早い。

からしばらく楽しみ🎵

 

好きを逃げに使うのではなく、自分を信じきるために使いたい。もし好きを逃げに使ったとしても、私はちっとも悪くない。

 

昨年の2月に、痴呆になり掛けていた母を説得するのに「おかあちゃんに悪いことを、私がするわけないでしょ?」というと母は「そりゃそうたい」と言って落ち着いたことがあった。納得したのだろう。

 

その言葉が不意に思い出された。

自分が発した言葉は、自分にブーメランのように帰ってくる。

私が私にしていることに悪いことはない。

私の体が私に訴えていることは私にとって正しいことだと思う。

体と心の声を聞くことに、真実があるのだろう。

継続は力なり。多分 2019.2.12

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今日はプロテインについて。

私は、昨年10月頃から、毎朝の日課としてプロテインを飲んでいる。
細々だけど、毎日続けている。4か月弱か。
もっと前から実はちょこちょこは飲んでいたのだけど、
毎日の日課としたのは10月から。

朝は特に、その前の晩ごはんから朝ごはんまでの間が長いので、
筋肉のたんぱく質が少なくなり、分解へ力が働きやすくなってしまうそう。
私のただでさえ少ない筋肉を保持するためには、できるだけたんぱく質を摂取して、
筋肉の元を作っておかねばというわけで。

私は、イソフラボン効果もほしくて、
11月末から一部ソイプロテイン大豆プロテイン)を摂っていたのだが、
1キロ袋をやっと消費。(基本、普通のプロテインと半々で飲んでいた)

大きな1キロ袋がなくなると、大きな達成感が!

なので、先程また別のソイプロテインをポチ。
美味しいといいけど、これも試してみないとわからない。
実は1キロ飲み終えたソイプロテインは、
喉に詰まる黄な粉みたいな風味だったのだけど、
別のホエイプロテインと混ぜて飲んでいたので、おいしく飲めていた。

さて、これが効いているのかと言うと、
身体の実感的にはなかったのだけど、
今日、ピラティスである動きをした際に、
先生に「おなかの筋肉がついてきましたね」とほめていただき。
これはプロテイン効果じゃないかと一人でにんまり。

これまた地道に週1続けているピラティスでは、
このところ、すこしずつインナーマッスル
つながりがわかってきたところがある。
感覚が出てきたというか。

筋肉は土台がないとできないので、
下地作りをちまちまとやっている感じか。
筋肉をきたえるにはその素材がないとね。

タンパク質は、筋肉はもちろん、
臓器、髪の毛、皮膚にも関連するほか、
集中力・思考力の低下という精神面にもかかわるらしいので、
食事でもできるだけ摂るようには心がけている。
これからも先ずはともかく朝のプロテインは必須で。


からだのケアは、自分を大切にするわかりやすい一歩。
特に今の私は歯科矯正で、食べられるものに制限が結構あるので、
確実な栄養素の部分は押さえておきたいところ。

今年はそこまで寒くないので、朝からシェイカーで作った
冷たいプロテインドリンク飲んでも、お腹が冷えずに済んでいるのがありがたい。
(その前に、起きがけにおさ湯を飲むようにしています。それもあるかな)

続くコツは、味がいいものを選んでいるから。

 コスパともに、おススメはこちら。

 

私は豆乳で飲んでます。

今日は、地道にプロテインのお話でした。
こういうのは続けてみるしか答えが出ませんからね。

!と思ったらやってみる。
辛く厳しいのはNG。そうじゃなく、楽しく。嬉しく。

それが続くコツかな。私は。

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おいなりさん 2019.2.11

建国記念の日でした。

紀元節の日。日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日だそうですが、
それにどういう意味があるのかって、あまり考えたことがなかったな。

「弟の誕生日の一日前の日はお休みの日」と私にはインプットされています。

夕方、ふと「きょうはおいなりさん」というのが浮かび、作りました。

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今日の予定だった、手羽元と大根の煮込みと、れんこんつくねも作ったので、台所が騒然と!でも、短時間に集中すると、俄然燃えます‼

急遽増えた作業として、米∔もち米を炊き、酢飯を作って、あげをあまがらく煮て、詰めて。これを2つの料理の間に挟み込みつつ進めます。
で、最後に酢飯が残ったので、キュウリとシーチキンマヨで具を作り、手巻き寿司の用意してと、2品も増えてしまった今日の食卓。

なんだったんだろう。

疲れているのかもしれません。体が。

おいなりさんは、仏壇にもあげました。
もしかしたら、先祖の誰かが食べたい~!って思ってたかもしれませんしね。
お稲荷さんって、不意に食べたくなるやつ。

急いで作ったので、皮の味の沁み方にむらができちゃったのはご愛敬。
今日は手巻きを優先して食べて、お稲荷さんは一つだけ味わっていただきました。

明日は息子のお弁当に。

 

写真は今日届いた大根。

「明日に向かって歩こう!」

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後ろ姿もなんか味がありました。

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のんべんだらり 2019.2.10

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久しぶりに、のんべんだらりという時間を過ごしている、3連休の中日だ。
なので、今日の日記もそんな感じで、一日の様子を書いてみる。

今日は、何もないのに、前日少し遅めに寝たのに、意外と早く目が覚めた。
最近、こんな起き方をよくするようになった。目覚めがよいのだ。
気持ちがよすぎる。不思議だなと思いながら、
あまりにもすっきりしているので起き出した。

普段なら、起きる必要がなければ、
お布団の中でゴロゴロしながら目や頭がはっきりしてくるのを待つ。
お布団の中が気持ちいいっていうことも大きく手伝っている(^^)
それも気持ちいいけど、
今回のようなのも、気持ちがいい。

時間が許すのだから、どっちでもいい。

今日はホームベーカリーでパンを焼いていたので、
それをカップスープに浸しながらいただいた。
歯科矯正中で、かみ合わせがまだしっかりできていないので、
トーストを食べるのは辛い。
それで耳部分はカップスープが大いに助けてくれる。
最近は同じく矯正中の息子と一緒に、
カップスープひたパンでの朝食が多い。

家事をしながら、今日は何をしようかな~なんて考えていると、
先ほどのすっきりした目覚めはどこへやら、
急激な眠気が襲ってきてたまらなくなり、
inお布団。
やはり睡眠のサイクルを1山逃していたようで、
90分ほどぐっすり寝た。

お昼を食べて、文章書きタイム。
これまでの仕事のことを、少しずつ思い出しながら書き進めている。
ブログに1日ずつ書く形でやっているが、
思いを書くと結構こまかくなってしまい、なかなか進まない。
いや、すすんではいるのだが、1日のことを書くのに数日かかっているのだ。

まあよく考えると、今の部分が私の思いを一番書かなきゃいけないところでもある。
後で削ることはできるので、とりあえず思うままに書こうと決めている。

自分が書きやすいので、ブログに1日ずつ上げているが、
初めて使うブログで、使い勝手が今ひとつわかっていないことがネックになっている。
しかも、非公開にできると思っていたのに、できないみたいで、
仕方なく公開にした。
そうすると、ちょこちょこっといいねが入り始める。
いつもなら、いいねがはいると読んでくれているんだと嬉しくなるが、
このブログに関しては、ちょっとどきっとした。
ひっそり書いて、ある程度までできたら公開しよう、くらいに思っていたのだ。
人が見ていると思えば、よけいに人目が気になるのは人情だ(--;

人目を気にすると、文章の書き方や順番や、
いろんなところに気を使うことになる。時間がかかる。
時間がかかるわりに、面白みのない文章になりがち。
それは避けたい。

まあ結局かっこつけているわけだなと思った。

でも、いいように見せたいと思う気持ちよりも、優先したいのは
自分らしい自分の思いを言語化する方だ。
なんとかして、私の11年を自分の言葉で形にしたい。

自分からそう公表しなければ、そこまで人目に触れることもないし、
自分の目的に注力しよう。そうしよう。

そんなこんなで、今日も今日の分を書いた。

書くと妙に疲れる。思い出しながらと、気持ちを入れて書くからだろうか。
だから、こちらのブログでは気の抜けたようなだらだらモードになるのだろうw

リフレッシュを兼ねて、ぜんざいを作ったり、
ひな人形を出したりした。

この時期にひな人形を出すなんて、私にしてはまた珍しい。
いつもはぎりぎりが多いので、なんだか今年の私は違うぞ(笑)

晩御飯は、豚汁と豚ロール巻き生姜焼き風味。節分の豆を使った甘味噌煮。

さ、今から3年A組に集中します。


明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。

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F先生の診察日 2019.2.9

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今日は、F先生の診察日だった。
まずは、毎回恒例の血圧測定、体重測定。
月に1回の血液検査。
そして、今日は年に1回の腹部エコーの日。
なので、11時からは食事をしちゃいけなかったのだけど、
朝起きるのが遅くて(すっかり忘れていた)、朝食というかブランチというか、
食べ終わるのが11時15分になってしまった。

正直者の私は、きちんと報告(^^)
でもエコー中、技師さんに「食べ終わったの11時15分くらいですよね。それから飲食してませんよね。」と聞かれ「ココアは飲みましたけど。。水分はいいのかと思って」というと「ああ、そうですか。まあ水分は必要ですもんね」という返事。
後からちょっと調べてみたら、牛乳や砂糖の入った飲み物はだめだそう。
牛乳は取ってないけど黒砂糖入ってた。あちゃあ。
次回の参考までに書いておく。ココアはダメ。

しかし、食べちゃダメと言われると食べたくなるのはなんでだろう?
気持ちがそっちに行くのを避けるため、PC前でひたすら文章書いていたら、
バスに間に合わなくなり、夫に送ってもらう羽目になってしまった今日。
ありがたかったけど。

今日はどうも気が急いていた。なんだかな。

さて、腹部エコーの結果を前年分と比べながら、先生がみていくのを一緒に見る。
胆のうやら膵臓脾臓は問題なし、肝臓も脂肪のついていない綺麗な肝臓らしい。
へー。
肝臓には嚢胞?穴のようなもの?が以前からあるが、
昨年から変化なしなので気にしなくてよいらしい。動脈硬化もなし。
肝臓は物言わぬ臓器というし、少し気になっていたのだが、
問題ないということでいいのだろう。

私の問診結果も非常によいし、先生はニコニコだ。
私自身も、揺れるが以前よりも慌てずに対処することができるようになっている自覚がある。
それを先生は褒めてくれた。
1月末から2月頭のおなかの不調も、この程度で収まったのは、私の対処がよかったからだと先生は言う。


起きてしまったら、おなかを温めて優しくするしかない。


脳と腸はつながっているので、腸へのアプローチはもちろんだけど、頭がそのことで疲労状態になるのなら、脳へのアプローチも必要だと言われた。
後半、脳対策で2回ほどお薬をつかってみたが、それでいいと言われてほっとした。

からだの声を聞きながら、できるだけ丁寧にケアしたつもりだったので、
うまくいって良かった。
先生からも対処法の確認がとれて、あれでよかったんだと自分の対処に◎がつけられた。

先生は言われる。
敏感なのは仕方ない。鈍感よりも随分いい。
でも敏感だとその手綱を捌くのが大変だ。
揺れ動くから、それに引っ張られてネガティブな方に行くとそっちが気になって引きずられてしまう。
だけど、あなたはそれを随分できるようになっている。
なによりいいのは、ネガティブなものをみないようにというのではなく、それもあることをわかっていながら、まるめていい方を向くようにしているところ。
視界には入っているがフォーカスしない程度にみているのでいい。

地味だけど、今やっていることはやっぱり正しい(わたしにとって)のだと確信する。
やっていることというよりは、その方向性が。
原因追及とその対処を追いかけるのではなく、

原因となりそうなものを排除するのではなく、

起こった時には粛々と対処し、

基本は自分の身体の感覚に沿う。

できるだけ心地の良いことを選び行う。

心地の良いとはどういうことかを頭で考えず、体で感じ選ぶという方向性。

それによって「心地いい」「気持ちいい」が感覚的に浮上してきて、

こっちのほうがいいと私の中の↑がそっちを指すようになってきた。
そのことを何よりも私のからだ自身がわかってきているので、
このままやっていけばいいかなと思う。

いいことばかりだと、逆に不安になったりする。
「いいことばかりは続かないよ」とか
「いいことが続いたら、悪いことも結構くるよ」だとか
いうネガティブワードが聞こえてきそうだ。

ふうんと思いながら、スルーするのだ。軽やかに。

この数日、ちょっと詰め込みすぎなところがあるので、
明日はもう少しのんびり行こう。

明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。

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五感・感覚・直感を信じる 2019.2.8

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何をどうすればいいのかわからない状態だった私が、
もうこれしかないと思ってひたすらやっているのが、
「自分の五感・感覚をひたすら見て感じること」と「直感を信じて行動すること」。

頭の中から出てくる「そんなことしたってさ」とか
「それできるの?」なんていうネガティブな声を気にせずスルーして生きていくには、それを超越する何かが必要なのだ。


で、それは自分の外ではなく、自分の中から湧き出てくるものが一番わかりやすい。
だって、それはリアルだから。
自分の体感を持って知れることだから。


人間、体感したことしか信じることはできない。
あ、そうじゃない人もいるかもしれない。
もしかしたら私だけかもしれないけど、それならそれでもいい。持論だから。

ともかく、私は、私の体感をもって、
「ああ、これは私にとって正しい」と思う。

この正しい正しくないっていうのは、ジャッジではない。
自分の中で「在る」ということを認めたものが、
「正しい」という言葉になっていると言えばいいのかな。

それを1年間、ひたすらやってきてて、
最近やっと自信をもってそうだと思えるようになってきた。

見えるものの視界が明るくなってきた気がするのだ。
ネガティブな声も心なしか少なくなってきたし。
先日おなかが痛い日々があって、おなかを下したりもして、
それこそ「1年前に逆戻りなのか?」という時もあったけれど、
そこまで悲観的にならずに済んだ。

それまでの私なら、「なんで?」と、原因となるものを探すことに精を出し、
それをなくす方法をまた探すことに精を出して、
その過程でまた消耗してということを繰り返していたと思う。

でも、それをやることが無駄なことを私は学習した。
そして、それよりも自分を愛でることや体の声を聞きながら、必要以上に感情的にならず、できるだけ淡々とからだにいいことをやっていた。
お腹を下している時には、無理に食べずに、流動食的なものを少し食べるくらいにしておくとか。
意識的に腹式呼吸するとか。

時間はかかったが治った。
この成功体験も、私には大きいものとなった。
自分で自分の調子を整えることができるという自信になった。

普通に、これらができている人にとっては、何言ってんの?って話かもしれない。
でも、私にとっては、着実で大きな進歩なのだ。

1年前に、いろんなところで書かれている「自分を大切にすること」「自分の感覚に耳を傾けること」「自分の五感・感覚をひたすら見て感じること」は、文章を読んだ時には理解はできるが、体感的に何をどうすればいいのかのイメージはつかめていなかった。だから愚直にやった。

窓を開けて風を感じること、日の光を感じること、土を触ること、裸足で土や草の上に立ちアーシングすることなんかをずっと続けていくと、そのうち見えてくるものが増えて行った。草花はもともと好きだったが、もっとよくみるようになった。
そのうちみえてくるものは自然だけではなくなり、ちょっとした情報までみえてくるようになった。
「ふと」気づくことが多くなった。
そして、それらの情報にしたがって、行動していくとものごとがすんなりいったり、おもいがけなく楽しい気分になったりした。

今日も、母のところに行き、帰りのバスはほぼ待たずに来てくれた。
1時間に3本ほどしかないバスで、途中薬局で買い物もしたので、
時間は全く自分でみていないけど、もう「いいタイミングでバスが来る」と信じ切っている私が居る。
そして、それは今日もそうだった。
その日は歩こうと思っている日はこないしね。
面白い。

これはいい。これは楽しい。
楽しいことをするって、こういうことなんだって、やっとわかってきた。

やりすぎることは、いっぱいあるけど、
面白がって生きれるって、とても愉快だと思う。

今日は、先日みた5回目のボヘミアンラプソディの感想を書こうかと思ったのだけど、
書きだしたらこういうのになってしまった。
おそらく、ミユさんの今日の記事に触発された気がしてる。

note.mu
こういう記事が目に入るというのも、
私の潜在意識がぐっといろんな情報をつかみに行ってるからだろうと思う。

さて、ご飯作ろう。

今日は、巻かないロールキャベツの予定。

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浮かんできたもの 2019.2.7

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朝、6時過ぎに起きると誰も起きていない。
慌てて息子を起こしにいったら、「僕、今日7時起き」と言う。

僕はとにかく眠いんだという顔で、彼は「言ってなかったっけ?」と言う。

仕方がないので、私もそのまま寝た。45分ほどの時間が微妙だ。
でも、私も実は眠いのだ。

そんな感じで、再度7時に起きて、お弁当を詰めて送り出した。
家事や食事も一通り終えて、あれこれやっていたけど、やっぱりどうしても眠くなってしまい、布団に潜り込んで寝た。

この頃の私は、二度寝はあまりしないようになってきていて、
随分生活の質があがってきたので、これを維持したいと思っているのだけど、
まあ、こういうイレギュラーな時があることも許容しなきゃと思っている。

1時間ほど寝ただろうか、思うよりもスーッと目が覚めていき、
その中でぼんやりと考えが浮かんだ。

私がこれまで10年ほどやってきた、学生とのプロジェクトがある。
一昨年から、開催できる場が減り、今は小規模なものを年1でやるくらいになってしまった。


そのプロジェクトのことを、まとめようと思った。

ここ数日、過去の、そのプロジェクトに関する投稿を目にして思い出すことが多々あった。


ああ、4年前はこんなことやったな。
7年前は、この学校にはいったんだった。
あの時は、あの子がこんなことを言って来たな。
あんな事件があったな。。。。


そんなことをつらつら思い返していると、
ひとつひとつが、つながったかたちが、光りとともにふと見えた。

ああ、こんなことをこんなかたちで作ってみようか。
そんなことを、思ったのだった。

今までも、何度か形にしようと思ったことがあったが、どれも途中で挫折した。
それはなぜだったのかと思い返すと、

完成形のイメージがなかったからだった。
そして、「ちゃんとしたものを作らねば」という、

妙な気負いがあった気がする。

今回がうまくいくかどうかは、わからない。
でも、ふと出てきたイメージは大事だ。
わたしの「ふと」は意外と当たっている。
ふと出てきたイメージは、今回は結構ちゃんとしたイメージだ。

とりあえずそれを信じて、作ってみることにした。

眠気は吹き飛び、ワクワク感が出てきた。
久しぶりだ。

コンテンツを書きだしてみたら、さらっと出来上がった。

続けて、今日は一つ記事を書いた。

急がずに、かっこつけずに書いてみようと思っている。


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