ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記1014

・宿題をどうにか終わらせた。
最終日にw
学生にいろいろ言えないよなぁと思いつつ、投稿したら、1人しか出してなかったw
同期や他のメンバー人数めちゃくちゃいるのに。私、優等生の部類だった( ´艸`)
まあ人は関係ないんだけども。
気持ちでやるものだったので、気持ちを作るのがなかなかできなかったのでした。
気になっていたことが終わってよかった。

おかげで集中した一日でした。
久しぶりに作品も作ったな。

・夢見が大変悪く、ちょっとどんより。
宇宙から来た人たちとドンパチってな感じの夢。
久しぶりに宇宙から来た人たちの夢をみたわ。
孤立無援になってしまい、嫌な気持ちだった。
夢だなと思いながら見てるんだけど、気分がよくない夢。

起きてからも「これはよくない」と思ったので、
できるだけ気持ちを切り替えるようにした。

しかし、口の中の調子がいまいちで、
それも大きく影響してしまい、楽しい気持ちになれない。

ちょっと前までは落ち着いていたのだけど。
歯も口の中も動いているってことなんでしょうね。
肩がめちゃこります。

・衣替えでてんこ盛りの洗濯物を2回洗い、ニットを日陰干しにし、
片づけて。母の分の衣料もあるので、出すところがなくて大変。
今月中はコンテナ出しっぱなしになるでしょう。

やることはたくさんあるけど、すぐにはやれないし。
タイミングですねぇ。

いろいろ考える時間が増えて、五感で感じる時間が減ってしまった。
気づいたら深呼吸する。すると体の中がすっきりする。
いまのところは、これしかないかな。
そして「私は私だ!」という開き直り。

明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。

 

あの日から、34年経ちました。

・父の命日でした。34年経ちました。
丁度あの日と曜日が同じ。
34年前も土曜日でした。

今日、母のところに行って、その話をしてきました。
昨日、ある記事を夢中になって読みました。

gendai.ismedia.jp
いきなり逝ってしまったことと、朝逝ってしまったことは同じだったので、
つい、父に寄せて考えてしまいました。

私は当時、佐世保の大学に通うため祖父母の家に居候していたので、
父の死に目には会っていません。
父が重病だということも聞いたことがなかったので、
なくなったという知らせは青天の霹靂でした。

今日母に、父の前日の様子についてきいてみました。
もしかしたら、聞いたことがあるのかもしれませんが、
私の記憶にはなかったので。

父は前日、通っていた父の友人のクリニックにいっていたそうです。
そこで、心臓が怪しいので大きな病院に見てもらった方がいいと言われたよう。
母も呼び出され、一緒にその話を聞いたのが、金曜日の夕方。
翌日土曜は病院も検査できないかもしれないから、
月曜日に行こうかという話になっていたそう。
でも、土曜日の朝に発作になってしまったのでした。

心臓が悪いと最初に入院したのが私が中1だったから、6年。
なくなる手前まで診断がつかなかったんです。
なくなってから、心臓弁膜症だったと聞かされました。
心臓の膜が一枚破れちゃったんだと。

今日の母からの話を聞いて、もしも早期に大きな病院で手術をしていたら?
なんて、今更考えてしまいました。
あれが寿命だったのだと、すっきりしていたのになぁ。

母は母で、久しぶりに父の夢を見たのだとか。
それこそ34年も経ったのに、相変わらず夢の中の父はこどもっぽく、
お金をぱっぱと使ってしまう感じだったようで、
母は文句を言っていましたw こんなに時間も経ったのだから、いい夢みせてくれればいいのに、こんなのばっかりと( ´艸`)
夢の中で母は当時に戻り、私は高校生だったのだとか。
その頃から、父がアップデートされていないのだから、そうなるのは仕方ないよね。

亡くなった人は時間という概念がないのだとか。
苦しんでいないよね?
もう34年も経ったよ。
どうぞお楽に成仏してください。
もしくは、修行頑張ってください。

息子に、父の命日であることと母の夢を話しました。
母の夢がかなりリアルだったので、息子は大笑い。
息子は父に接していないので彼の人となりはわかってなかったのですが、
今日の母の夢は、父を語るにはわかりやすいエピソードだったので、
「そんな人だったんだ」というイメージになったみたい。あまりいいイメージじゃないんですが。
こうして、父の生きた記憶が孫に受け継がれます。
父がいたから彼も生まれたわけだしね。
そういうご縁があって自分が生まれてきた不思議を考えてくれるといいなぁと思っています。

今日は、甘栗のおこわを炊きました。
父はこういうご飯が好きでしたから、(私も好き^^)
お仏壇に、シュークリームとお酒とともにあげました。
甘いのもお酒も好きだったしね。

秋は、やっぱり寂しい季節です。

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Happy日記1012

・終日慌ただしかった。
問い合わせをしたり、やりとりしたりも急に入ってきて。
その時はそうでもないけど、夜お酒を飲んだら、どっと疲れがでてしまった。
息子の弁当作りがしんどかった~。
こういうのも久しぶり。

・思い当たる一番は、歯医者。
随分慣れもしてきたけれど、気づくとやっぱり力が入っている。

plaza.rakuten.co.jp
今日はブリッジを外した。
その時は大してどうもなかったのだけど、夕方からどうもおさまりが悪い。
銀歯を1本抜いただけなのだけど、右も一緒に口の中(頬っぺた内側)と歯の感覚がなんだか違う。
特に食事をする時のかみ合い方が定まらない。
銀歯でも、歯としてあり、奥歯だったので、噛む動作には大きく貢献していたのだろう。特に右に装置をつけてからは、右でかむと違和感があるので、左に依存していたわけで。

今日はせっかくおでんだったのだけど、なんだか味がしなかった。
歯って大切だ。これも慣れかもしれないけど。

ということをグダグダ息子に言っていたら「後悔した?」と聞かれる。
それはない。いろいろあるけど、それでもこの選択は正しいと思う。
まあ覚悟をしたからだろうか。
ゆーても仕方がないし、ここまでやりかけて辞めるのは、なんか違う。
まだ何も結果も出ていないから。

早く楽にはなりたいけれど。

MTGでメタファーワーク。
やっぱり楽しい。自分がしなくても、ワークの場は楽しい。
プレイフルな学びの場ってワクワクする。

・子宮頸がんの細胞診は、問題なしでした。
よかった。

・ともかく疲れたよー。
寝よう。
明日は今日よりもっといい日。

おやすみなさい。

Happy日記1011

・朝起きて息子の弁当詰めて送り出したが、その後布団に再度インw
寒いんだもん。
ギリギリまで寝て、昼からお仕事へGO.
私の動くモチベーションが落ちているのは、気温が下がっているせいだと思われる。
天気と行動はデータの相関があるらしいが、気温と行動も相関あると思う。私の体感でしかないけども。

急いでいたので、ゆっくりと味わう余裕がなく。
朝昼兼用で。明日もそんなバタバタになりそうだ~。
明日こそは早起きして起きたままでいよう。

・時間ある程度寝ると、動くにも力が出る。
こういう時間が取れているのはありがたい。
プロジェクトが再開し、歯医者もありだけど、
そろそろほんとに動く時間を作らねば。

・ミルキーのプロテインを入手し、息子と真面目にプロテイン導入計画。
自分ひとりより、誰かとやる方が励みになり楽しいのでw
息子が近くに居るうちは、彼をうまく使わせてもらおうと思っている。
プロテイン、あっためて飲みたいんだけどなぁ。うまくできないかなぁ。
ミルキー味は美味しい。

・U理論を学び直し中。
改めて本を読んでいるが、使いこなせるかとか説明できるかというと、ううむ。
ポイントがうまくつかめてない気がする。
説明しなきゃいけないので、ポイントを抜いて、わかりやすい形にしてみたい。
自分がやってみたいことなので、頑張ってみる。
とりあえず文章を作って投げた。
形を作って意見を聞くことから。
次は、シナリオ作り。
それから、実際流れをやってみたい。作ることは楽しい。

まんぷく。咲姉ちゃんが、結核で苦しむのを見るのが辛い。
私の結核は、全然そう大したものでもなく(咳は止まらないほど出たが)、半年薬を飲むことで終わったが、昔は死に至る病気。
時代が違えばそういう運命もあったのだと思うと、複雑だ。

・お風呂は気持ちよかった。クナイプさまさま。高いけど効能あり。気持ちいいし、香りもすごく良い。
シャワーで水かけ作戦も頑張っている。自律神経を揺さぶるお風呂の入り方。
いつまで続くかな。
効果が出ればいいな。

さて明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。




Happy日記1010

・今日は、タイミングがずれることが多かった。
というか、頭で考えることが多いとだめね。
直感や感覚のままにすっと動けなかった日だった。
それでタイミングを逃してしまった。

時は金なり。
タイミングを逃したら、切り替えなきゃなぁとつくづく。
気分が切り替えられないのが、いかん。

難しいことを納得のいくまで考えていたら、
時間が経つのが早すぎる。
いや、時間は早くなく、フロー状態になっている。

フローにはいると、非常に幸せ感はあるのだけど、
歩いていてもお風呂に入っていても、
関心事がそれだから、感覚に気持ちがいかなくなってしまう。
ほどほどにしないと、
脳に酸素が回ってない気がする。
家族が帰ってきたのがわかっていても、
おそらく「おかえり」を言えていない。そこまで気が回っていない。

今日の反省。
フロー状態に入るなら、時間を切って。
緊張状態にもあるので、緊張じゃなくてリラックスして思考したい。

・今日は自分を肯定する時間も要素もなかった(´;ω;`)
あ、そうだ。ひとつあった。
仕事に行く前に、遅くなる可能性を想定していたのか、
晩御飯の仕込みをしていた私を褒めたいw

・お風呂でリラックスするために、クナイプ入れてのんびり浸かるように試みた。

金木犀の香りをできるだけ胸いっぱい吸った。

寝たまんまヨガ、聞きながら寝よう。

明日は、今日よりもっといい日。
おやすみなさい。


Happy日記1009

・夫の調子が悪いため、気合を入れて朝起きて、

息子の朝ご飯と弁当詰めて、送り出し。
送り出した後に寝ようかとも思ったけど、
朝ご飯を食べて、

天気もよかったので、洗濯と冬物干し、

掃除、片付けといろいろやった。
気になっていたことを片付けたら、すっきり。

たまにはこんな朝もよい。

・火曜日は整骨院&ピラティス
今日は、肩回りと腰背中、つまり背面が固くなっていたようで、
特にピラティスでその辺をかなり伸ばした。
この時期、固まりやすい箇所。
伸ばすと痛気持ちいい。
自分じゃなかなかできない運動なので、
週1でもできることがありがたいと思う。

・お参りに。
なぜか今日行かねばと思って、整骨院の前に慌てて行ったけれど、
なんだったんだろう。
お地蔵様には、「おうちに来てください。邪気があれば取り除いてください」とお願い。なんとなく。
ウチに悪いものを感じるわけではないけど、
いろんなものの滞りは感じる。
通りをすっきりさせたい気はする。
モノが多すぎるのかもしれない。

・今日は自分のシャッターを一時おろした。
というか、逃げた。
我慢することはない。
ついつい、頑張ろうとしてしまうけど、
自分の危険性を感じたら、逃げていいんだと思う。
私まで痛みを感じる必要はない、というとなんだけど、
私はできるだけ健康でいなきゃいけないと思う(^^)
そのための策は自分で取らなきゃね。
私のためにみんなのために。


今日は早めに寝ます。おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。



 

 

Happy日記1008

・娘の23歳の誕生日でした。
随分大きくなったもんだと思います。
昨日チャットしていて、「今が一番幸せ」という彼女。
好きなことを自分に正直に貫く姿勢は素敵だと思います。
それが彼女らしくもあります。
あの子のいいところは、人と比べたり、人目を気にしたりをしないところかな。
単純にそこは羨ましい。
これからも突き抜けて生きていってほしいな。

・母のところに、息子と一緒に。
部活を自主的にお休みされた息子くん。
いつもはちゃりでいくので、今日もそうだろうと思ったら、
なぜか一緒にバスで行くというので、
行きはバス、帰りは歩きで買い物しながら帰ってきました。
暑いくらいの天気だったので、気持ちよかった。
今日の歩数は私は6900くらいで、息子は6100くらい。
歩幅が違うということなのでしょうか。

母の調子も安定していて、
3人で楽しくおしゃべりをして帰ってきました。
気持ちが安定して、嬉しい時間。

そんな穏やかな中、
夫の体調が非常に悪く、
そういう外部要因からの影響はどうしても受けてしまいます。

FBもツイッターからも、刃を感じることがあります。

この1年で私が身をつぶしてまで理解したことは、
自分が解決できる範疇は、あくまでも自分のことしかないということ。
身内であれ、パートナーであれ、友人であれ、
他者の気持ちは、その本人にしかわからない。
その人が発した言葉でさえ、他者にはその真意はわからない。
それを、勝手に解釈をして自分で抱え込むのは、

荷物を勝手に作ってわざわざ自分で背負うようなもの。
私はその辺にとても敏感なので、つい癖が出そうになるが、
他者に関わることは、勝手に推測してやっても何もいいことは生み出さないので、
やめました。

人間関係は難しい。
が、どうにかしようと思うならば、
本音で話をするしかないのだろうと思います。

世の中、いいたいことを言い合える関係が作れるといい。
そんなことを思う秋の夜。
まあ、該当する他者がどう思うか、
他者とどういう距離感を持つ人なのかにもよるのかもしれませんけど。
あ、また考えすぎ( ´艸`)

半分、青い。の総集編を視聴。
ああ、本当に終わってしまったのだ~。
終わってしまったのが残念というよりは、あの物語を人生の横においていたような感覚のある私は、その物語が終わり、ちょっと取り残されたような。
この半年、私も自分の人生を見つめ返してきたので、
主人公というよりは母の目線だったり、少し俯瞰した目線で、でも応援団としてみていました。
激動の昭和から平成を、私も駆け抜けてきたんだなと思います。
そしてこれからも生きていくわけで。
私には律は居ないが、頑張ろうw

・口の中はまだハレは残るけど、随分楽になってきました。
なにより、ご飯が食べられます。ありがたい。
今日は食べやすいお刺身を買い、お酒も飲みました。
今日は痛みをごまかすためではなく、お刺身を美味しく食べるためw
ひやおろし、おいしい。
日本酒がおいしくいただけるようになるなんて、1年前には思えなかった。
ありがたいことです。

FBでフォローしている方の投稿がとても気になる、真理だと思うので、
載せておきます。
読み返し用。

私の熱は2年前にインフルで40度くらい行った時かな。
普通は高熱は出ないから、「これでがん細胞は死んだよ」と皆に言われていた。
涙も出ない。あのニューシネマパラダイスの最後のシーンでも、うっすら、くらいだった。半分青いでは、少しぐっと胸に詰まるところがあった。
裕子ちゃんの骨壺をすずめが抱くシーン。あれは来た。
ゴミ掃除のための発熱、出したい。
===

2年弱、毎月、個別相談に通ってくれている40代の女性から
「38.5度の熱が出た!」とメッセージが来た。
 
よーしっ!!!
   
彼女の主訴は、
身体面では、疲れやすさと重度の花粉症、
マインド面では、やりたいことがわからないこと、だった。
 
シングルマザーで必死に娘を育ててきたけれど
その娘もまもなく大学を卒業し
自立をしていく。
 
学費の支払いという大きな「仕事」を
終える瞬間が見えてきたとき
  
「娘のために」が
一番の目的だった、と同時に
一番の言い訳でもあったことに気が付き始めて
私の元に通い始めた。
 
わたしは、
心のことを心からのアプローチでなんとかしようとするのは
無理だし、むしろ危険とも思っているので
ひたすらに身体へのアプローチを重ねていく。
 
レメディを入れて最初に出て来たのは
「腰痛」だった。
 
腰の捻挫(ぎっくり腰)をきっかけに
全身に細かな痛みがあることに気がつき始める。
 
これはもしかしたら今始まったことではなくて
ずっと前から痛んでいたけれど、
気がつかなかっただけなのかも!?
ということに気が付いた。
 
そんな「麻痺」を自覚した後、
今度は眠れないほどの
強い「足のしびれ」が始まった。
というか、感じられるようになった。
 
実は彼女は若い頃
膝の靭帯を切る怪我をして、
大掛かりな手術をしている。
 
なるほど、
その時入った麻酔の害だと踏んだ私は
徹底して「薬害」出しを促すレメディを入れ
実際の解毒臓器である肝臓のケアを
続けること数ヶ月。
 
足の痛みとしびれは消え
その代わりに、
「涙」と「熱」が出始めるようになった。
 
治療をしていくにあたって
大切な物差しが、この「涙」と「熱」だ。
 
これらが出始めると
心身が緩み始めているサイン。
 
涙は最初、「怒り」でもいい。
 
怒って怒って怒って怒ると
その先に(その下に)「悲しかった」という感情に
気づく時がくる。
 
彼女はもう10年単位で
高熱を出していなかった。
(こういう人はとても多い。かくいう私も、そうだった。)
 
ひとつずつ、身体に残った毒を排泄し
心に蓄積した「出せなかった感情」を排出していくうちに
微熱が出始める。
 
そう、何十年も熱を出さなかった人は
最初から高熱は、あまりでない、
というか出せない。
 
まず37.5度に至らないくらいの微熱がでる。
この時の特徴は、
ものすごく身体が辛いこと。
 
燃やしたいものはあるけれど
燃やす力と、許可が出ない=微熱
 
燃やしたいものを血液には放出するけど
解毒する力がない=毒素いっぱい
 
そのために頭痛や咳などが伴う。
もちろん身体は重く、痛く、だるい。
  
そんな微熱を何回か出しているうちに
38.0度くらいの熱が出始める時期が来る。
 
そして、今回のように38.5度。
 
こうして少しずつ少しずつ、身体は
ゴミ掃除のための発熱を
起こす力と、許可を、自分自身に出していく。
 
治療家にとって、熱の目安は
1、37.0〜37.5度くらいの微熱
2、38.5〜38.7度(ウイルスが死滅または動けなくなる)
3、39.3度(がん細胞が死滅)
4、40度
のだいたい4段階
 
この階段を登っていくと
身体が軽く、きれいになっていっている目安になる。
 
ちなみに彼女は、この夏
娘を産んで以来おそらく初めての、ひとり旅に出た。
 
勇気を出して八ヶ岳のリトリートに参加して
その後、一度行ってみたかったというニュージーランドに、ひとりで行った。
 
自分にお金をかけていい
自分を「探しに」行っていい
自分の「好き」を選択していい
  
緩み始めた身体と同じく
心への許可も、出せるようになってきた。
 
2年という時間は
身体の油が入れ替わる、半減期に近い。
  
まずは2年あれば
身体(油)を変えつつ、人生を変えることができる。
  
素晴らしいね!!!
うれしいうれしい嬉しいー!!!!!