「原因はあるけど、とりのぞくものではない。。」
「原因というのは、あなたのデリケートな脳の個性なんですよ。デリケートだからこそ人が気づかないことすばらしいことにも気づくことができるんです。そのかわり人の味合わないような辛さも味わう。辛いことは味わわないようになりたい。これはできる。ここの時に辛いと思いは減ります。それはこうなるということをみとめたら、必ずその時の状態の辛さが次第次第に減ってくる。それはほんと。学習効果。おこるんだけど減ってくる。そしてこうなるんだけど下痢という表現をしなくなる。
それはその次なんです。言っときますけど。
あなたはポンとゴールをみて下痢を取り除きたい。
それを思った瞬間にできないですよ。一歩を踏んでないから。
身体は一歩を要求してる。ごめんなさいといえと体は要求しているんですよ。一見シンボリックで何かのたとえ話のようにみえるけど、本当なんです。細胞ってのはそれぞれ一つの意識を持っていると考えたら理解できる。
こういうことを思っている医者は99%いないけど、しかし生命はそんなものです。
わかる人はわかっている。
医学はサイエンスのレベルが低いから、個の生命の意識なんて誰も言わないけど、
意識があると理解して行動して正しいと思ってやったら、納得できる。
それをあなたにわかってもらいたい。きっとあなたはすごい体験をしています。」
「よかったです。どんどんいい方向に向かっている」
「いい方向に向かってると思ってたんですが」
「いい方向というのは、あなたの生きる構えがどんどんよくなっている。」
「そうですね、まえよりはいいと思います。」
「入院する前よりね。気づいてきた。
あなたは素晴らしいということに気が付く必要がある。
あなたは勘違いしているからね。デリケートなすばらしい自分を認めるってことですよ。それ、今までなかったでしょう。」
「そうですね」
「深いところでは自意識はちゃんと持っておられるのに。
つまりある意味でスーパーコンプレックスを持っている。
深いところで自分を認める感覚、優越感を持っていた。
敏感だということは人は鈍感だということだから自分はそれだけ神経、センシビリティが高いという優越感を持っていたはずなの。」
「そうですかねぇ」
「それは隠してた。私が言ってるのはそういう意味での優越感はいいんだけど、
あなた自身がもっともっと素晴らしい存在だということに、
こういう症状を通じて気づけるチャンスにきてるということを言ってるの。」
「そこが芯から落ちてない感じなんですよ。」
「そんなに簡単におちません。そのために生きてるんだもの。
あなたまだ80じゃないでしょう?そんなに簡単にわかりませんよ。心配しないで。」
「わかった頃に人生終わっても困るじゃないですか」
「そうです、そうです。だからこうなってるからいいでしょ。」
「波が収まってきてるのはいいんですが、敏感さって恐れを呼ぶんですよね。
またなったらどうしようとか。そことの付き合い方が難しくて」
「それに関してはあなたは随分学習してきたじゃないですか。
最も恐れがあった時、ここに来れたじゃないですか。突破できるものであるということをわかってきた。来たら恐れもある、不安もあるその対策はもう10年もやって上達してきた。」
「難しいのは、先生は不安や恐れは逃げなさいと言われる。逃げてもいいんだということを認知するってことは随分やってきた。行動認知療法ってあるじゃないですか。結局それに目をむけないといけないんじゃないかというのとせめぎ合うんですよ。
」
「ははは。矛盾しちゃうんですね。行動認知療法というのは、馬が動かない時にニンジンをぶら下げてやるという方法。自分を認識をしてそうすれば褒美が来るというやり方。雅子さまが続けてらっしゃる方法。
悪くはないですよ。あう人はそれでいい。合わない人でもブックスは、受け入れる範囲が広い。あれは精神科の治療。従来の方法に比べたら実効性の高い方法だったとわかってきた。たった今のあなたはそれは必要ではない。ここまで来たら。認知行動療法では高くは上がれない。高く登れるところを。」
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