ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

F先生との会話0627その2

「原因はあるけど、とりのぞくものではない。。」


「原因というのは、あなたのデリケートな脳の個性なんですよ。デリケートだからこそ人が気づかないことすばらしいことにも気づくことができるんです。そのかわり人の味合わないような辛さも味わう。辛いことは味わわないようになりたい。これはできる。ここの時に辛いと思いは減ります。それはこうなるということをみとめたら、必ずその時の状態の辛さが次第次第に減ってくる。それはほんと。学習効果。おこるんだけど減ってくる。そしてこうなるんだけど下痢という表現をしなくなる。

それはその次なんです。言っときますけど。
あなたはポンとゴールをみて下痢を取り除きたい。
それを思った瞬間にできないですよ。一歩を踏んでないから。
身体は一歩を要求してる。ごめんなさいといえと体は要求しているんですよ。一見シンボリックで何かのたとえ話のようにみえるけど、本当なんです。細胞ってのはそれぞれ一つの意識を持っていると考えたら理解できる。

こういうことを思っている医者は99%いないけど、しかし生命はそんなものです。
わかる人はわかっている。
医学はサイエンスのレベルが低いから、個の生命の意識なんて誰も言わないけど、
意識があると理解して行動して正しいと思ってやったら、納得できる。
それをあなたにわかってもらいたい。きっとあなたはすごい体験をしています。」

「よかったです。どんどんいい方向に向かっている」
「いい方向に向かってると思ってたんですが」
「いい方向というのは、あなたの生きる構えがどんどんよくなっている。」
「そうですね、まえよりはいいと思います。」
「入院する前よりね。気づいてきた。
あなたは素晴らしいということに気が付く必要がある。
あなたは勘違いしているからね。デリケートなすばらしい自分を認めるってことですよ。それ、今までなかったでしょう。」
「そうですね」
「深いところでは自意識はちゃんと持っておられるのに。
つまりある意味でスーパーコンプレックスを持っている。
深いところで自分を認める感覚、優越感を持っていた。
敏感だということは人は鈍感だということだから自分はそれだけ神経、センシビリティが高いという優越感を持っていたはずなの。」

「そうですかねぇ」
「それは隠してた。私が言ってるのはそういう意味での優越感はいいんだけど、
あなた自身がもっともっと素晴らしい存在だということに、
こういう症状を通じて気づけるチャンスにきてるということを言ってるの。」
「そこが芯から落ちてない感じなんですよ。」
「そんなに簡単におちません。そのために生きてるんだもの。
あなたまだ80じゃないでしょう?そんなに簡単にわかりませんよ。心配しないで。」

「わかった頃に人生終わっても困るじゃないですか」
「そうです、そうです。だからこうなってるからいいでしょ。」

「波が収まってきてるのはいいんですが、敏感さって恐れを呼ぶんですよね。
またなったらどうしようとか。そことの付き合い方が難しくて」
「それに関してはあなたは随分学習してきたじゃないですか。
最も恐れがあった時、ここに来れたじゃないですか。突破できるものであるということをわかってきた。来たら恐れもある、不安もあるその対策はもう10年もやって上達してきた。」

「難しいのは、先生は不安や恐れは逃げなさいと言われる。逃げてもいいんだということを認知するってことは随分やってきた。行動認知療法ってあるじゃないですか。結局それに目をむけないといけないんじゃないかというのとせめぎ合うんですよ。

「ははは。矛盾しちゃうんですね。行動認知療法というのは、馬が動かない時にニンジンをぶら下げてやるという方法。自分を認識をしてそうすれば褒美が来るというやり方。雅子さまが続けてらっしゃる方法。

悪くはないですよ。あう人はそれでいい。合わない人でもブックスは、受け入れる範囲が広い。あれは精神科の治療。従来の方法に比べたら実効性の高い方法だったとわかってきた。たった今のあなたはそれは必要ではない。ここまで来たら。認知行動療法では高くは上がれない。高く登れるところを。」

過敏性腸症候群 #細胞には意識がある #デリケートは素晴らしい
#私は素晴らしい存在 #身体は一歩を要求している #からだにごめんなさい
#自分はデリケートで素晴らしい存在であることを認める
#原因はあるけど取り除くものではない
#恐れや不安は突破できる

Happy日記0628

・大学に行けた。
…正しくは連れて行ってもらった。かな。

・お昼、おにぎりを食べることができた。
食欲が落ちていたので、どうかなと思ったけど、ゆっくり噛みながら食べられた。

・ワークは、私の頭は働かなかったが(汗;)、楽しかった。
学生の人生は20年そこそこだけど、みんなそれぞれ人生を生きていて、それらが表出出来てきたのはいいことだと思う。
これだけ回数を重ねてきたから出てきている言葉が、たくさんあるように思った。

・今日は結果的に入院前に近いレベルの腹痛。
3限までしか持たなかった。
それから地下鉄&タクシーで帰宅。
よく帰れた。
激痛で動けないほどではないけど、そうなったらもうどうしようもないから、
動けるレベルで帰宅を決意できたことは、正しかった。

・夫にご飯を作ってもらった。ありがたい。

・息子と久しぶりにじゃれた。スキンシップは必要。大きくなっても可愛らしい。



F先生との会話0627

「最初に脳疲労が起こる→腸疲労がおこる→脳疲労が起こるという悪循環」
腸疲労が起こってしまったら、まず腸を対応しないと、脳疲労から対応しても収まらないそうだ。

デリケートだってことは素晴らしい、ってことに気づく必要がある。とF先生。
「あなたは下痢したら、自分はけしからんって思うでしょ?」
「辛いからですよ~」
「それは違う。それは辛くしたから辛いんでしょ。」
「あ~、そりゃそうですけど~」
「腸を疲れさせるようなことをしたんでしょ。」
「そこがわからないんですよ。なんでこういうことになるのか。
随分改めて頑張って来ているのに、なんでこうなるのかなぁって。」
「それはね、

まず、ひとつは天候の問題。これは一番に大きなストレス。暑さ、寒さ、部屋に入ると温度差がある。普通の人は血圧がすぐあがる。あなたはもっと人より敏感に反応してるから。
それから、ご家族のことがバックグラウンドとして、大きなストレスでしょう。」
「それは随分落ち着いたんですよ。そこらへんのストレスは減ったんですよね。でもなんかモヤモヤ。。。」
「もうひとつ。こういうこともあるんですよ。いいことがあったらストレスになることがあるんです。」
「そうなんですか?」
「マイナスなことがあると頑張ってるですよ。で、ところがいいことがあるとほっとするでしょう。そしたらどっと疲れる。そういう繰り返しを生命はやってるんですよ。

だからなんでって言われると、理由は必ずあるんです。あなたが気づかないだけ。
文句言わないで結果に対してごめんなさいって言っとく。
感謝しなきゃ。いい思いをしてるくせに下痢したら文句言うって本末転倒です。
理由がわからないだけじゃないですか。
理由がわからなくても原因はあるんです。あなたがわからないだけ。腸には理由がある。脳にも理由がある。」
「それをどうにかしたいんですよ。」
「いやぁ、まだあなたはそこは、だから今私が言ったことを理解しなさいって言ってる。
天候もひとつの「そうか」と思うべきです。」
「そうですね」
「あるいはほっとする。どっと疲れてるよね。ごめんなさいって、腸に言ってあげる。二つの大きなストレスには、娘さんも随分手伝ってくれたでしょう?
お嬢さんと自分に感謝する。お嬢さんにありがとう。
自分にもありがとうといっとけば起こらなかった。」
「感謝してたつもりなんですけどねぇ」
「今度ためしてごらんなさい。
そして起こった時は起こった時の対処をする。
今日はごめんなさいの点滴をしましょう。ひたすら腸にご機嫌を伺う。
あなたなんでこんなことになるのと責めてるじゃないですか。
それがいけないんですよ」
「なんかびくびくしてるんですよ。いつ起こるかなと思って」
「それが間違ってる。
おこったらおこったってどうして思わないんですか。
おこったら対策とれるじゃないですか。
おこったらまだ十分に自分は学習ができてないんだなと思って、ごめんなさい。
恐れるなかれ、死ぬわけじゃない。
二度と起こらないようになんてってのは、それはあなた贅沢というよりも理解してない。」
「辛いからです」
「辛い時にはつらい対策を取るべきじゃないですか。辛いことを認めなきゃ。こうなるということを認めたら辛さが減りますよ。またおこったどうしようと思ったら、下痢も便秘もひどくなる。下痢が起こったね、便秘が起こったね。なんかサインがある。パッとそこに寄り添えば症状減りますよ。これ100%保証できる。学んでください。」

 

「先生、ごめんなさいはいいんだけど、対処はわかるんですけど。。。
このそもそもの原因は取り除かないといけなくないですか?」

「これはね、永遠にあなたは波が高くなったり低くなったりはなるんですよ。

これを認めなさいっていってる。こういうのを取り除くことはできません。絶対できない。

それはあなたの生命の、いのちの個性なんですよ。

他の人は下痢してないからいいなと思うでしょう?でも他の人は別になにかおこしてる。高血圧になるやらガンになるか認知症になるかうつ病になるか何か起こしてますよ。あなたのようなタイプは実は高血圧や認知症にはならない。

ということは、あなたは不幸じゃないんですよ。

個性の違いだけなんです。

そこが間違ってる、原因を取り除くというのは。それが自然なんです。」


「あなたは不幸じゃない」というF先生の言葉を聞いて、
私の中のなにかが(きいろちゃん?)ほーっとした。
救われた。
夕方、この言葉をかみしめながら歩いた。

そうか、私は症状が出るたび、不幸感を感じていたんだ。
少なくとも幸せを感じることはなかった。
症状が出て幸せって感じるって、なかなか高等技術だと思うw

「私は幸せだ」よりも「私は不幸じゃない」の方がリアリティがあるのはなんでだろうか。不幸じゃないの方が、納得感があるのだな。

私は私の敏感さを認められないでいる。
この敏感さがストレートに幸せとつながらないからだ。
でもこれが私。今日別所でも「敏感だね」といわれた。そうなんだよね。
敏感なことが症状や不快感を呼ぶから、嫌だった。
でも敏感だからこそ、人よりもいろんなことに気づくというのもある。
この敏感さに理由はないのだろう。この体で生きているのだ。
いのち頂いているからには、このいのちや魂を輝かせないとね。
敏感になることを恐れずに、生きて行こう。

 

Happy日記0626

今日は、朝一MTG,本MTG、事後MTG途中抜けからの、整骨院ピラティスの日。
最近の火曜日は慌ただしい。
でもひとつひとつは集中してる。

最近、車での移動と徒歩・公共機関での移動の差をとても感じる。
時間に追われている感じがめっちゃするからなのか、
車移動の時はあっという間だし気が楽。
逆に自分一人で移動する時って、ちょっとおっくうになっている。
日差しが強くなってきたことに体が反応しているからなのかな。

整骨院では肩をほぐしてもらう。
自分じゃどうしてもできない場所だから、とてもありがたい。
「すぐには治らないけど積み重ねで治っていきますからね」と励まされる。
確かに週1通っていると、使い物にならないほどにはならないし、そこそこは動かせる。ありがたいことです。
いろんな筋肉が固くなっているので、ほぐしたり回したり調整していただく。

呼吸も大きくできるようにしてもらったところで、酸素カプセル30分。
ピラティスお休みしていた分のチケット消化も兼ねてだけど、
最近結構お気に入り。
圧をかけていくので、飛行機のとびだつときみたいな耳きーんもあるけど、
慣れてきた。
30分、呼吸をすることに集中すると、結構気持ちがよい。
移動中とかは何やらいろいろ考えてしまうけど、
酸素カプセルの中では、気持ちよく息を吸い吐くことを考える。
30分入ると8割疲労回復するそうだ。

その後のピラティスは、おかげでまた気持ちよくできた。
呼吸が調子よかったからか、身体がよく動いた。
褒められて嬉しい。

つながり感を感じられているかどうか、頭でわからないところもあるけど、身体がわかってできているならそれでいいなと思った。
体のバランスでいうと、右足が弱いというのが自分でもよくわかった。
先生いわく、右で踏ん張る力が弱いから、左肩が頑張って、現在の状態になっているという指摘にとても納得する。
後、肩に関しては感情?も詰まっているらしい。そこは全くわからない。
でも、じゃあからだからアプローチすれば、感情も消化できるのではないかって思った。逆もありかな。

からだと心はつながってる。
からだあちこちもつながってる。
つながりを感じる。つながりで動く。
一つだけで頑張らない。
私の生き方にもあてはまる。

娘の就職相談の電話が最近続いている。
今日は候補の下見に行った彼女。
行ってその場の方とお話をしてお試しさせてもらったら、意外と好感触で嬉しくて電話してきたらしい笑
自分で動くって大切だね。
ご縁があるといいね。

娘から遅ればせながらの母の日父の日プレゼントとしてさくらんぼを送ってもらったので、ご近所にもおすそ分け。
そしたら、ご近所さんから逆にお菓子のお返しがどっさり。
息子嬉々として食べている。さくらんぼもお菓子も。
こういうやりとりをしていただけることは、とてもありがたいことです。

バタバタしちゃってお昼食べ終わったのが16時。
お腹を下してしまって観念してお薬を飲んで、今はホッと一呼吸という感じ。
最近なぜか緊張が続いている感あり。
また何か自分の悪い癖が出てるのかなと思ったりもしていたんだけど、
前よりは悲観視はしなくなった。少しずつだけど、いい方向に向いてる気がする。
なんでだろうとは思う。

身体の冷えの話を整骨院でしていたら、「今、寒かったり暑かったりが激しいですもんね。それでついて行けてないこともあるかもですよ」といわれ、ああ、それ大きいかもなと思った。
季節の変化に体が身構えているのかなぁ。
カナリヤだもんな。いいも悪いもそれが私の身体だ。








Happy日記0625

高揚すると落ちるという現象。
気持ちが上がると、なぜか体調がいまいち。
ひどく悪いわけではないんだけど、いまいち。なので、気持ちもがーっとは上がらなくなってしまう。
沸騰しきれない弱火のお湯のようになってて。

あっ、最初からHappy感のない文章になってしまった。

嘆いているのではなくて、原因が知りたいなぁと思う。
でも原因を取り除けばって話でもないのかな。そこに因果関係があるとは限らないね。
最近体に目を向ける余裕がなくなっているのが、その原因のひとつではあるか。

朝から母を補聴器センターに連れて行く。
お出かけの用意をして待っている母を見ると、可愛らしくうれしくなる。
最近は私のプレゼントした花柄のお洋服をよく着ている。
最初は、ものすごく抵抗した洋服。
母にとって花柄やカラフルな色はとっても抵抗感のあるものだった。
着るものも限られているし、職員さんが勧めてくれるのだと思うけど、
今日「このお洋服も着るようになったじゃない?」というと、
母はわらって、「他の人も見てたら、明るい色の方が映えるのよね」という。
一人暮らしだと見えないものが、今の環境では見えて彼女の意識も変えている。
夕方、センターの看護師さんからお電話があり、
母の調子がとても良いので、お薬を自己管理させてもいいかという相談があった。
様子をみながら、やってくれるのだろうし、できるだけ自分のことをできるしあわせを感じてほしいなと思う。

しかし、環境次第で人はこうも変わるのだなと驚かされる。
母は、変わらない変わりたくない環境を選んできたんだなと思っていたけど、ほんとは変わりたかったのかな。よかった。
私に似て観察が好きな人だから、よく人をみている笑
今、いい場に居られることが素敵だ。

補聴器も今日から一週間のお試し。
慣れていくといいな。
これもセンターにいるからできることかもしれない。
独居だったら、自分一人では管理できないかも。
ありがたいことです。

美味しいぶり漬け茶漬け食べて、
役所に行って、
おかいものして帰宅。
おうちで書類つくり、ご飯作り、お弁当のおかず作り、食事のストックづくり、
生協ともぐもぐのお野菜セットの小分け、ストック準備。お洗濯、お風呂掃除。キッチン掃除、、、。

もうちょっと余裕があるといいなぁ。
緊張感が続いてる。
「すべてうまくいっている。」

今日の自分は何を欲しているか?の答えは休息。

明日のピラティス後は、のんびりしよう。
きっと明日は楽しい日。

朝ドラで妙にテンション上がっているので、
それはそれでいいことだけど、集中しようっと。
さてプロポーズ後はどうなるのか(集中してないぞw)



場を創るのが好き Happy日記0624

・プレ講座が無事終了。
毎年のことだけど、申込み不要のイベントって不確定要素満載で落ち着かない。
想定ができないものを仮にと進めるのはリスク高いけど、
結局何人来るかだけが不確定なので、それで左右されるものの作りにしなければ淡々と進めるというのも、改めて思ったなぁ。
昨日はどうなることかと思ったけど、意外とシンプルな作りだったからか、大学生の進行もスムーズにいけて安心した。

この通日で痛感しているのは、私は彼らが成長するタイミングのフォローをしたり、目が届いてないところに気づかせたり、様子をうかがって声をかけて緊張をほぐしてあげたり、彼ら同士をつないだり、なんだかそういうのをやるのが私の役割な気がしている。
私が私らしさを発揮してできること。
気になって仕方ないからすること。
点と点をつないだり、交わってどうなるかはわからないけどその可能性にワクワクしながら場を創るのが好き。
そんな場で、みんなが楽しそうにイキイキしてて、
彼らが自分自身を肯定し、安心して自分を出しながら、
みんなで一緒に目指すなにかを生み出しているのを見るのが好き。

今日は、保護者の方々へのヒアリングもしてみた。
卒業生にも声をかけ、要所で仕事をしてもらった。
進行時間のめどもだいたいのところを統括に伝え、彼女たちと時間を調整しながら進めて行った。

私がここでできることはなんだろうと集中して考えて、いや考えてというよりは動かされてる気づかされている感覚が強かったかもしれない。そんな動きだった。
自分ができることを、自分でその役割を作って担う。勝手に満足感を持っているのかもしれないけど、場にとって役に立ってる感めっちゃある笑

===
講座の後、卒業生の二人とお茶をしに行った。
その時に彼女たちに話をしながら思ったことがある。


私が持っているこのプロジェクトの現場がなぜいいかというのは、
誰がきても明るく迎え入れて、みんなで一緒に遠くに行こうという雰囲気があるから。
これはもう文化だ。
こういう文化の中で育った子は、そういう世界をまた外で作ってくれるはず。
何をやったかもいいけれど、誰とやったかも必要だ。
ものや手法はマネしやすいけど、こんな文化は再現性がしにくいかもしれない。
だから、肌感覚ってすごく大切なことのような気がする。
ちょっと言葉にはしにくいのだけど、
自分が受け入れられたというよりも否定されないというか、
安心してもいいんだと思える場所があって初めて、
人は、巣づくりのようなことやなんらか得ようとする行動ができるんじゃないのかと感じている。
私がそこにいたいのは、そこはある種自分の理想の世界だから。
自分がそういう場に居たい。
自分が小さい頃や若い頃にそんな場があったらと思うから。

作者的に見れば、ぼろぼろなのかもしれない物語だけど、
外見を綺麗にするのではなくて、そこに自分が居てどうしたいかが考えられる場所を、
ここにこだわらずに、作っていけたらいいんだよねと思う。

今日卒業生には、在学生との関わり方をもっと違う形でもいいから考えてほしいということと、
自分たちの世代が作るこんな場があってもいいという話をした。
私のような親世代が作るものと、彼らが作っていくものとはまた違うし、
世代交代してもいいし、共存関係にあってもいい。主体が彼らになっていくのは当然だから、違う関わり方になってもいい。
そういう風に思うと、また違う意味でワクワクする。
未来を託せそうな若者を私は産み出しているんだなと思うと、結構嬉しい。

こういう場に居れることを、ありがたいと思う。


人生は物語だ Happy日記0623 

自分の中で準備は終わった。
あれこれやろうと思えばきりがない。
自分の気持ちが落ち着くところまでを、
時間=自分のペースと相談しながら、
のある程度。

心配性の私は、用意万端を好む。
でも、それで身を削って身体を壊して消費してしまった。
それはもう本末転倒なお話。
これは繰り返したくないと、真剣に思うので、
とにかく「自分が大事」だと思うことを繰り返す。
心配を消すための浪費をやめて、
自分が幸せになる時間を作るのを優先したい。

物語が好きな私。
物語の何が好きかというと、
伏線があることに気づいたり、
何かの教訓や示されている直接的でないものに気づいたり、
というのが一番好き。

単純にストーリーに身を任せて、
「どうなるんだろう」のワクワク感も好きだ。

登場人物になりきって、思いを寄せたり、
他者の人生を生きるのも好きといえば好き(これは言いも悪いもある^^;のでこういう書き方をしておく。

そもそも私は童話が好きなのだが、
それは単純に純粋さがあるからというのもある。
若者系の純粋な思いで突っ走る系が好きなのも、
多分そこに私の憧れがあるからだと思う。

そんな私がしばらく物語が苦手になった時期がある。
何も浮かばない、何も考えられなくなった。
ワクワクするストーリーは、考えろと言われれば言われるほど、全く浮かばず頭の中には白しか浮かばなかった。

多分自分の中で強制力が働くと、
自分の中のクリエイティビティが押し黙る。
これは他者からの強制とは限らなくて、
私の中の「ねばならない」モードが働くと、
「うまくつくる」という意識が作動して、頭だけで動かしてしまうから、頭が潜在意識と連動しないと、私の中の大いなる知恵とのアクセスが切れる。

人生は物語だ。
ポジティブに考えなさい。やりたいことをなりたい自分を、といわれても、
素直に作れない自分が居た。
そもそものなりたい自分なんてないんじゃないか。
たいそうなものを設定したがるのが私だ。
理想が高すぎるので、こう在りたい、こんな社会にしたいの設定も難易度としては高いのかもしれない。
そういう高いハードルを設定すると、
まだよちよちジャンパーの私は、途端になにをどうすればいいのかわからなくなる。
道を設定するための目標設定なのに、逆に迷路をいっぱいつくってしまいそうになる。

生きることを、苦行にしてはいけない。
迷路に入ったら出られなくなる。見えていた道が逆に見えなくなる。そういう時は一旦コースアウトしよう。そう思って、一旦目標とそこに至る道の選択をやめた。

そして今、目標も含めて再構築中。
一旦目標(こうしたい)は作ったが、結局前と一緒になってしまいがち。
それならばと、今度はそこまでの行き方を変えてみた。つまり選択する際のポイントを変えてみつつある。
苦行スタイルや、「こうだと正解に近いかも」というのではなくて、
私自身の「こうだったらいいな」くらいでまずはいく。
そんな感じのライトさと中途半端さで、
少しでもワクワクしながら歩ける道を歩きたい。

そしたら、客観的には無謀に見える道でも、自分らしく歩けば自分も納得して力が出るような気がした。
ちょっとした気の持ちようと、行動を変えるだけだけど、
これって簡単ではない。
それでも、自分が信じる明るい方に、自分の感覚を信じて進むしかないんだと思う。

明日は今日よりももっといい日。
おやすみなさい。