ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記0511

ハッピーじゃないこと多かったので、、、
絞り出す。

・今は調子がいい。
薬が最後に効いたかな。ほっとする~。
・病気だと人と話さないのでうつうつする。チャットでT氏と話せてかなり楽になった。
自分の中に在るものをぶっちゃげるってやっぱり必要。

・息子が優しくハグしてくれた。本人も明日大変なのに。いい子や。嬉しい。

半分、青い。新しい東京での生活が始まった。すずめちゃんもいいが、菱本さんがいい。あのキャラが好き。毎日楽しみ。

・岡部明美さんの「戻っておいで私の元気!」に救われた。泣きそうだった。泣ければいいのに。

・今の私は、健康でありたい。自分に素直でありたい。今は休息を欲している。
マヌカハニーがおいしい。
・自分を信じたいと強烈に思う。

明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。

祈りを言語化できなくてもいい

susagen.ciao.jp
お詣りいっても、まとまらなくて。色々いってるけど伝わらないかもなぁって、
こういうところだけは妙に客観的に思うものだから、
この記事には救われた思い。

届いていないから、叶わないのではなくて
届けかたが下手くそだから、叶わないのではなく

少しずつ、もう叶っている。
少しずつもう、叶っているんだ。 

その方向へ、心を向けてる瞬間から
流れているんだよ^ ^

 ありがたいですね。こういうことを言ってもらえることが。

『私が幸せって思えるほうを選んで生きる。これからの人生でとにかく1秒でも多く笑って生きるから、そう決めたから、いっしょに手伝ってください。いいように助けてくださいねっ』みたいなのでもいい。

あったかいおじいちゃんに甘えるみたいな
感じがあってもいいと思うんだ。

 昨日、母方の先祖の方々をアルバムで見ていて、おそらくひいおじいちゃんに当たるその凜とした方を見て「この人が私のひいおじいちゃんなのかぁ」と思っていた。
何をしていた人なんだろう?どんなことを考えていたんだろう?今どう思ってるんだろう?って思ってた。

私はなぜかしら、先祖の方は苦しい思いをたくさんしていて、

生きている私たちにどうにかしてほしい!といっぱい投げかけてくる存在だと思っていた。
死んだら人は体だけがなくなる。思いは残るから、それを生きている人に動いてほしいと思うのは、人情だ。

かつ彼らは時間感覚がなくなるから「今!」合わせて来ちゃうこといっぱいあるよなぁって。

で、私は、それを受け止めてしまう方。自分がしなきゃと思ってしまう方。
でも自分がしなきゃなのはなぜなんだ?


本当に私がすべきなのは、私が私の生を全うすることで、
先祖供養をすることが私の生ではないはずだ。でもついここが逆転する。
家族のために、家のために、というのは刷り込みのように私の中にある。
「私の応援をしてください」までは、毎日のおまいりで言えるようになった。
「私がこれをこう決めたから、こうしたいから」を持たないとなぁ。
ため息。

正直なところ、幸せになりたい、気楽に生きたい、健康に生きたいしかなくて、
今、それしか言えない。

「これからの人生でとにかく1秒でも多く笑って生きるから、そう決めたから、いっしょに手伝ってください。」これくらいは言えるかな。



Happy日記0510

先ほどのブログを書いた状態から、少し良くなってきた^^
ので、ハッピー日記も書く。

・朝起きて、息子を送り出せた。
二度寝して起きれた。(超キモイ夢を見た。私は若い女性教師でいじめにあっていて、先輩男性教師から助けてもらったという話。殺されそうなえぐいものだったが、どうにか生きながらえてよかった。しかし相当にいやな夢だった。夢で良かった)
・お仕事に行けた。楽しかった。
体調的にはどうにか2コマ持った。ほっ。
・久しぶりにT氏事務所に寄れ、いろいろ話もできた。
・ひたすら寒さ対策。風邪薬を変えたのがよかったのか?カイロがよかったのか定かではないけど、落ち着いて、ほっとした。
・ご飯、わりかし美味しく食べられた。ご飯自体と豚ロースのガーリックバター焼きが美味しかった。お腹もすいた。
・先日、母から教えてもらった母方の曽祖父曾祖母、祖母、叔母等をアルバムで確認作業をしてみた。
つくづく、不思議だ。あったことがないけど、確実にこの人たちの血が私に入っていて、この人たちが居なければ私が生まれていない事実を考えると、不思議でたまらない。
毎日仏壇に参るが、「いのちをつないでいただいてありがとうございます」と言う。
なんでこうなったんだろうと思うと同時に、今生きている不思議が必然ならばやっぱり生かされているとしか思えない。
ここに自分で「生きる」という意志を付け加えるのだ。
これから生きることをもっと違う目で見ていきたいと思う。

#先祖供養
#命のリレー

やってしまった?!

寒い寒い。
先週の金曜に、ベリーショートにしたから?
今日はもう寒くて仕方がない。
久しぶりの仕事だったけど、夕方からやっぱりドーンと冷えが来た。
いつもよりひどい。
喉風邪自体は少し和らいで、タンが絡む感じくらいで収まっているけど、
首を中心にとにかく全身の悪寒がっ!

心の声に従い髪を切ったはずなんだけど。
間違ってたんだろうか?

とにもかくにも、風呂に入って、着込んで、ご飯を少し食べてお薬を飲んだ↼イマココ
発熱してないけど(逆に低温だけど)発熱時の栄養ドリンクというやつも飲んだ。

やっぱり無理してるんだな、私の心と体は。

娘が帰ることを受け止めるってことと、
息子との朝早い睡眠時間短い生活を始めるということと、
仕事を再開するということ、
娘が帰ると同時に主婦生活を再開すること、

これらが同時にやってきたわけだから。
そしてこのところの寒さと髪の毛がなくなったことと。。。

私って、極端なんだよな、なんでも。
今はあったまって少し落ち着いてきたので、
様子見ながらご飯の仕上げをして、寝とこう~。

失敗しちゃったけど、私はダメだとは思ってない。
やっちゃっただけさ。しんどいけども。
早く息子帰ってこないかなぁ。

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Happy日記0509

息子との2人暮らしが始まった。
5時45分起き。
本人はちゃんと起きてご飯自分で食べて用意するので、
手はかからない。
お弁当も前の日に仕込んでるので、
ご飯を詰めていくだけ。今日はおにぎりを作るのを手伝った。
そして、私も一緒に朝ご飯。
6時45分に送り出し。バタバタだけど、結構和気あいあいしてて楽しい。

まあ意外といけると思った。

洗濯して朝ドラ見たら9時まででもう持たず( ´艸`)
今日はヨガの日なのでその前に整骨院に行きたくて、10時には起きたいと思っていたのに目が覚めたら11時過ぎだった。。。

予定)整骨院(酸素カプセル→整体)→ヨガ→お詣り→帰宅
結果)ヨガ→買い物→お詣り→整骨院(整体→酸素カプセル)と流れが変わっただけだけど、整体で院長先生に長々と身体のひずみを調整していただけたので、いつもならやってもらってもすぐ出てくる左肩の痛みが落ち着いている^^
今日はなんだかかなりラッキーだ。

お詣りも落ち着いていけたし、結構本音をお願いした。
おみくじが何でも叶う大吉だったので、気分よく帰った笑

帰ってから、サンドイッチを仕込んだ。
明日の朝の分。
こういうことができると、余裕が生まれる。

結局私は、自分に余裕がなくて、選択しが思い浮かばないと不安になるんだなと思いながら、今日の帰りに歩きながら考えたことだった。
時間的な余裕はないけど、時間に限りがあるなら、割り切るしかない。
ということで11時就寝!
明日も同じ時間の起床!

さて、寝よう。
おやすみなさい。


娘が帰りました、ということでこの間の回顧録。

とうとうこの日がやってきた。

12月20日から(多分)今日までステイしてくれていた娘が、山形に帰る日。
嫁にも出してないのになぁとか、今更思う笑
仕事を辞めて(辞めたのは本人が潮時というところでの希望だけど)、福岡に帰ってきてくれて、実質主婦業&介護手伝いをしてもらった4ケ月半。

この半年はいろいろありすぎた。
ことの発端は、夏休みに娘が彼と帰省したその日に母が緊急入院。そのちょっと前に夫が入院していて、その辺から私が仕事も含めて抱え込みきらなくなって、9月にわたしがとうとう壊れた。

当初は、「娘が辞めるなら、うちも大変だししばらくこっちに来てもらえたらいいなぁ、娘も一生山形に居るかということも含めて、今後の人生を自分の生まれ育った福岡で考えられればいいんじゃないかな。」くらいに思って、勧めてみたのだけど、実際自分がこんなにがっつり病気して、家のことやら母の介護系まで見てもらうことになろうとは思ってもみてなかった。

9月から毎月「感冒性胃腸炎」を患い、12月のクリスマスイブ前後だけは奇跡的に元気になったものの以降ダウン。この月には2度「感冒性胃腸炎」の診断。その度に絶食一週間。そもそも食べられないし水分と酵素ジュースで生きながらえていた。年末もお正月も食べられず、いよいよおかしいぞと1月明けにかかりつけの病院に相談すると「過敏性腸症候群」ではないかと診断され、霧が晴れたようだった。(結果的に感冒性胃腸炎というのは誤診だったというわけだ・・・)
そこから本格的に休養に入ったが、食べられるようにはなって来ても、劇的には治らない。波があって、食べられる時とそうでない時がある。

夫の調子は私よりは波が少ないが、それでも不調が続き、検査をすると手術が必要な病気であることがわかった。

母親は年明けに手術をし、その後転院してしばらくすると痴呆がぐっと進み、要介護3にまでなった。異常行動が増え、口をぽかんと開け、食事や薬を嫌がり、家族への呼び出しがかかるようになってきた。3日に1回は病院通いの毎日。
老健への見学と申し込み、母の家の撤去も決めて、いるものいらないものの選定をし、業者さんに頼み、撤去した。

体調が悪い中、そういうことをしなくてはならないので、私の身体は私のことだけを考えるなんてできなかった。それでも体は「自分のことを優先しろ」とばかりに自分を痛めつけていく。考え方を変えるしかなかった。

自分のために私は、散歩をしたり、瞑想をしたり、自然にふれたり、本を読んだり、神仏に拝んだり、とにかくいろんなことをした。
娘には家事全般を頼み、夫にも息子にもいろんなことを頼み、自分をいたわったが、それ以上に母の介護は直接的ではなくてもかなりハードだった。というよりも、母親の痴呆という事実が私の心をわしづかみにした様だった。

私しかやる人はいない。法定的にはそうでも、私ができなければどうしようもない。誰かがするしかない。したくない。でも逃げられない。
行き場のなくなった私の心は、私の身体を痛めつけることで憂さを晴らしていたのかもしれない。

そんな私も、それでも自分を生きたいと思うことが優先できることもあった。
子どもたちが楽しそうに笑いあっていると、それだけでありがたい気持ちになる。
ここに自分が居ていいんだという感じがして、心から安らげた。

息子は受験生だったことも、今回追い打ちをかけた。
彼は自力で頑張り、無事自分で合格を勝ち取った。
それに今回の受験を通して、自分の進路ややりたいことに気づき、照準を定めることを理解したようだった。
私もまだ最初は元気だったので、相談にも乗れていたが徐々に難しくなった時、彼の息抜きに娘が大きく関与してくれたことが、とてもありがたかった。
おそらく娘がきてくれていたから、彼も安心して勉強に集中できる環境を自分で作れたのだろうと思う。
夫も歴史の解説を毎日のようにしてくれていたなあ。
私は彼の勉強を見る余裕なんて全くなかったので、助かった。

今回一番のチャレンジは、私が入院したことだった。
3月10日から一週間ほど、とにかくお腹が痛くて具合が悪い時間が長く続いた。寝る時しか安らげない。主治医の先生に診てもらって薬の飲み方を指導してもらったら、たちどころに収まったが、とにかく体をいじめてしまっていたので衰弱し、私はもうこれで死ぬのではないかと思っていたくらいだった。
そのくらいきつかったし、何も食べられない何もできない日々だった。
それで、体を休めるためと安心のための検査のためにと、2週間の入院をすることにした。
これは私にとって大きなチャレンジだった。
私が2週間家を空けることは、家族にとっては初だ。しかも母親の家の撤去の立ち合い、夫の入院と手術の立ち合いを娘に託さなければ達成できないことだったからだ。
娘は快く了承してくれ、胸をたたいて大丈夫です!と言ってくれたので、安心して入院できた。非常にありがたく頼もしかった。

入院中、薬が中止になって、体調が著しく悪くなったことも、自分の状況を理解する経験となった。今の私には薬を使いながら、自分を調整していく必要がある。そのことを自分がよく理解していないとだめだということが、よくわかった。

約2週間の入院を経て私は退院し、6日目の今日、娘は山形に戻っていった。

娘が帰ってきて、やりはじめたことがいくつかある。
・彼女の提案で、マスカラをつけるようになった。
たまにやってはいたが、いつも後がめんどくさくて続かなかった。
今回は、とにかくやつれてしまったので少しでもと思う気持ちも大きいが、自分にちゃんと手をかけて上げないとという気持ちが強くて、続いている。

・カラオケが楽しい。
息子娘と3人で初めてカラオケに行った、ってのが結局1回だけだったのだが、
好きな歌を聞くだけではなくとにかく声を出して歌うというのが、気分的にも身体的にもとてもいいというのを体感した。
自分だけだと自分の好きなものしかセレクトしないが、子らと行くと全く知らない曲もあるが、好みがかぶっているものも結構あって、一緒に歌えたりもする。それが面白かった。もう一度行きたいと言っていたが、最後の週は私が風邪をひき歌える状態になかった。残念。

・ネタを共有し合う。
娘がことのほかお笑い系が好きなので、テレビのセレクトがそっち系が多い。かつ息子も高校生になり堂々とスマホデビューにもなり、ツイッターやLINEでの共有もしやすくなったというのもある。
どこかに行くと写真を撮り、家族メッセージグループに共有する。とかなんだけど、
写真だけでなく、情報の共有ややり取りがしやすくなった。
これは心理的にとても軽くなった。

・予定を立てずに、思いついたら動く。
娘自体がそういうことが好きなタイプ。なので、私も誘いやすかったし、彼女もそうだったようだ。
暇な二人ということも言えたが、家に居ても何かをしようかとか、料理の相談もしやすかった。
(そもそも自分ってそうだったなぁと思いだした。
私には極端なところがあって、これは父親譲りなところもあるが、思い立ったら吉日的なとこと、しっかりスケジュールを立ててやりたいところとがある。)

・仏壇との日々。
母宅を処分したので、うちに位牌を持ってきて仏壇のようにお供えをしている。
朝晩そこでお参りをすることが日課となった。
息子がわかる範囲の先祖の方の名前を色紙に書いてくれ、それを位牌代わりに置いている。あとは父、母方の祖母、伯父の位牌があるので、毎日お茶をあげ、ご飯を炊いたら上げ、お線香をあげてお参りをする。
何もない時に比べて、格段に手を合わせることが増えた。

長々となったが、これでやっと終わった感がある。

夫の退院も今週末に決まったそうだ。
私の今年度初出勤も明後日。
新しい新年度が、やっと始まる、始められる、そんな感じでいる。











Happy日記0507

全然楽しめないっつーか、ナーバスさが続く。
まあ仕方ない。
この性格自体は、やっぱ変わらないのだな。
私自身の喉風邪がすっきりしないことも大きいのだろう(ということにしてみる)。

それでも、今日は夫の病院でご飯が食べられた報告を聞き。よかったねと言い合う。
弟と休みがうまく合い、母の老健に一緒に行き、4人で話ができたこともよかった。

母の父のアルバムを持って行くと、母の母や叔母、父方のおじいちゃん(私の曽祖父)など顔と名前が一致した人たちも出てきた。
映画「リメンバー・ミー」でいくなら、第2の死を免れた人が幾人か出たということだ。


これも1ケ月前の母なら無理だった。
覚醒が進む今の母だからわかることで。今に感謝しないとだ。
そして、あの辛い体の日々の中で、母の部屋を処分して、手帳から家系図を引いた私がいたからわかったことで。
先祖の皆さん、喜んでくれているかしら。
私はかなり嬉しいんだけど。
こういうことを、娘がちゃんとみていてくれることも。

私になにかあれば、この先祖からの重荷はきっと娘に行くだろう。
以前一緒に霊能者みたいな人に見ていただいた時に、
全部私が受けているから娘は何も感じず好きなように生きれていると言われたらしい。
(すっかり忘れていたが、そうだろうなと思う。
父が亡くなってからガツンと私にくるようになったので、それは身体で私もわかることで。この手はそういう役回りというか体質なので、仕方ないのだ。)

いつかそういう日が来るまで、彼女は彼女の好きを追求すればいい。その記憶があれば、きっと家系や家族の苦労を背負ったとしても、自分に戻れるから。
私はそれが薄いから辛いんだよな。濃く持ってたはずだったんだけど、思えばそれはやはり家族から助けられた上に立つものだったのだと気づく。

さて、明日は息子の朝補習再開で、5時45分起き。
ヤバい。寝なくては。

おやすみなさい。

明日こそ、リベンジ!

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