ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

怒涛の波の後は~その後その②魂のお話

駅で動けなくなってから6日目。
今日は絶食3日を経て、おかゆから食べてもいい日なのだけど、
いまいち食欲湧かない。
おなかはまだ芯が痛いし、熱が微妙に37、1℃。
家の中歩くとふらふらするのは熱のせいかな。
なので、寝ちゃ起きおさゆ飲んじゃ寝の繰り返し。
でもそんな毎日でもいろいろありすぎて、時系列には書ききれないヽ(´Д`
憶えていられない。
というより、まだ具合悪い(´;ω;`)

PC前に座るよりも寝とけ!と言われそうですな。
実際そうなんですけど、書くことで吐きだしたり整理したりしないと
安心できないたちなので。。。
安心して寝るためにもごちゃごちゃしているものを一旦文字に落としたい。

育子さんが「書いてることで、美和子さんの納得と、次への道が繋がっていくことは、【書くという祈り】動きの祈り、ですね!」って言ってくださって、
「ああ、ありがたいなぁ、そういうことなんだなぁ」と。
こういうのは他者じゃないと言葉にできないことなので。

【書くという祈り】は、
動きの祈り!

字を大きくしてみた。

育子さんのブログはこちら↓

ameblo.jp
いや~、もう彼女には本当にお世話になりっぱなしです。
巡禮記からことあるごとに、とても頼りにさせていただいています。
私の方がずっと年上なのにねぇ。

さて、その育子さんとのカウンセリングで、私を構成する要素だとか、
インナーチャイルドだとか魂のミッションだとかを聞きました。
前2つは自分が生きてきた中で「そうだろうなぁ」と思うことがベースだったので、「ああ、やっぱり!」というのと「そことそこがやっぱりつながっているわけね」
という納得感があるものでした。

で、魂の話です。これは正直難しい。
でも、私が理解した分だけ書いてみる。

そもそも魂は、制限がない世界に居る。
身体がないから、時間の概念がないから、
会いたい人がいればそこに行ける。
痛みなし。
不安なし。
叶えよう、叶わないなし。

そんな魂が、「人を体験しよう!」と人間になることを求めてやってきて
私たちの身体に宿ることを「わけみたま」というそうだ。

熊野に巡禮記で行った時に聞いた話でいくと、
魂は成仏しようという時にだいたい8つに分かれてさざれていくそうだ。

そのつぶつぶになったものらが「わけみたま」、、だと思う。

魂はわかれてもどこにも入っているって感じかな。

で、次に人を体験しよう!と生まれ変わってくることをする際には、
同じような思い?ミッション?を持った分離体たちが集まる。

私の場合は、特に「どうにもならないことをやるのが人生だ!
人生は刺激!とにかく刺激を味わいたい!」とでも思ったみたいで、
そのひとつひとつの角をとがらせるようにして構成されているみたい。
これはおそらく夫や母も同じ部類な気がする。

魂は「分離してみたい!」「その分離した状態で生きてみたい」
なんてことを思うらしく、その人でないとできないようなパーソナリティを
魂として構成する。
これが魂の癖というものみたい。
この魂の癖は、前提として「体験欲求」が激しくベースにあるみたいで、
「どうにもならないことをやってみたーい!」という
かなりの刺激フェチであるそうだ。
で、それが「魂みがき」になるらしい。

この魂のやっかいなところは、これが徳になるとかそういうことは
一切思ってないらしいこと。(仏教的には徳なのかもしれないけど)
なので魂的には喜怒哀楽すべてが「刺激」なのだそうだ。
激しい振動が好きということなんだろうなぁ。

で、一つだけ魂に関して納得するのは、私自身が
「何もない人生より山あり谷ありの方が楽しいよね」という
価値観の元に生きているってこと。
そこは納得している。

で、一番最初の、私の魂の設計図に戻ると、
とにかく責任感あり、人のために献身的だし、
でも今回は、自己犠牲にならないというチャレンジをするというのがミッションみたい。
これは非常に同意したい!
自分の個性も認めるけど、それで随分と失敗してきた記憶もある。
自分を大切にしてかついかにみんなで幸せになるかというのは、
私の人生の志でもある。
今回のミッションと私個人の志や目指すところは一致している。

が、しかし、魂の癖というものはやっかいで、
生活をしている中で、うまくいかなかったり、どん底に落ちたり、
とにかくいろいろある中で感情が思いっきり動く。
この感情の動き自体は、魂とすればいいことでも悪いことでも
大喜びで大満足らしいのだけど、人間である私には、
いいことならまだしも悪いことだと心が死にそうになるくらいのモノだったりする。
現に今回は、もうどうにもならないくらい苦しく、

発狂するんじゃないかのレベルだった。

これをどうにかしたいのだ。

じゃあどうすればよいのかというのがまたちょっと難しい。

今のエゴを持った私。感情を持ったわたしは、今、スクリーンの中にいるような感じだとする。魂からすればスクリーンに映っている私は、
「これ、したかったの!」ということを演じている私だ。
このストーリーを味わうためにこういうことをしている。
魂的にはこのスクリーン1だけじゃなくていっぱいスクリーンを持っているはずで
映画館シネコンでいっぱい映画館があって、
それぞれかかっている映画が違うという感じかな。
またはチャンネルが違うという方が正しいのかもしれない。
周波数と育子さんは言っていた。
周波数を変えると(チャンネルを変えると)、
「あ!そうかも!」が含まれた現実になる。つまりストーリーが変わってくる。

私が仕事でやっている夢チャレや書くPやLSPでいう
「気づき」のことだろう。魂的にやっていることを
「何でそういうことを今やってるのか」とか「もうわかった。もうそういうことにしよう。」という納得だとかがふとできた瞬間に、その周波数が変わるのだ。
「ああ、今までこれしかないと思ってやってきたけど、
あれ?もういいよね、これ捨てても」とか
手放しで今までの人生を俯瞰してみれるようになれば、
パラドックス?が起こり、結果現実の想像が変わってくる。
つまりストーリーが変わってくる。

これは、書くPでやった話だ。
で、納得感もある。

なあんだ、私はこのことを知ってるんじゃん。

「渦に巻き込まれていくのではなく、俯瞰する自分という視点で魂のことを見れれば、生きがいの本質が見えてくる。」
「魂はそもそも安心なところにいて、安心なところに帰っていくので、不安なことはまるでない」
「魂にとって生きがいとは、エゴの達成以外の何かが達成したいと思っていること。」
「魂は理不尽なゲームは、飽きると終わり次の刺激に行く」
「だから、責任感のあり方や頑張り方が変わってくると、違う刺激になる」

思いが変われば行動が変わる、もいえるし、
行動が変われば刺激も変わる、ということか。

魂だけじゃなくても私たちのエゴにも癖がある。それは重々承知。
ここ数年のSIや表Pの授業でも、この話はよく出てくるししている、
ということは、私のエゴはこのことを知っているということだ。

「なんでこの繰り返しをやってるんだろう?」と魂に問いかけてみる事、
「しんどさに同調しないこと」(同調する=そのままやっていていいよという促進にもなってしまう)、そこを踏ん張って?諦めて?俯瞰して。
「もうそろそろこのストーリーは学びにして終わりませんか?」と魂に言ってみる。
というのが方法なのかな。

と同時に、自分の納得も必要で、開き直るというか、
「良くも悪くもこれが自分なんや」「よくなろうとする自分も私、よくなろうとする自分を辞めるのも私」というところまで来て初めて扉が開く、、のか。
まあどっちも価値がある、と、まるまるどっちでもわたしでいいやんか。と、
価値観のレベルを増やす、モノの見方を広げる、、ということかいな。

育子さんいわく「がけで落ちそうになってて手を放すか離さないか」という時にわかるものらしい。
まだ私はしがみついている。離すと死んじゃう気がするんだもん。
でもえいってやってみると生きる別のストーリーが生まれるのかもね。
その度胸があるのか私。

まあこの手の話を知らないと知っているのとは、
状況が来た時の心の持ちようが変わるはずなので、
これに出会えた私はまだまだ可能性がある。

「私はわたしでいい」と思い、「私の役割ってなんだろう?」
「責任ってなんだろう?」「自己犠牲って何だろう?」
「自己犠牲とそうでないものの境目ってなんだろう?」をみて、
腰を据えて「わたし」を生きていくと決めると、
私の中の今までそれに抑制されていた私が動き出す。
痛みや緊張感じゃなく、落ちても落ちなくてもどっちでも大丈夫だ、という選択をする体験ができれば周波数は変わる。

後半は、書きながらドキドキしているので、
まだまだ腑に落ちていないものもあるのかもしれない。
頭ではすっかり納得しているのだけど。
え~!もうこれ以上いや~ってマジで思ってるけど、
まだまだ自分の役割って、とか責任って?って
ちゃんと考えきれていない部分があることは確か。
「だってやだもん」でそこを置いてきてるから、
チャンネルや行動を変える、その選択肢をもっと持ってからさらに考えたり、
そういう場に身を置くとああ、と気づけるのかもしれないなと思う。

ということで、魂編はとりあえず終わり。

次は、魂のストーリーを変えるにかなり強力な力である私の中の私の話。

怒涛の波の後は~その後その①

金曜日、起きてメールチェックをしていたら、夫からメール。
「土曜日退院します」
はい?
あれだけ大変な思いをしてようやく入れた病院なのに?
大丈夫なの?

即電話。
「大丈夫なんじゃない?」
相変わらずである。

しかし、帰ってきてもらっても今の私の状態ではケアなんて絶対できない。
それで、「実は、、」と昨日の顛末を話し、「そういう状態なので、私はあなたのケアは出来ない状態で、逆にケアしてもらわないとという状態なのだけど、大丈夫?」とお伝え。
大丈夫じゃなければ、退院は出来ないだろうから、大丈夫なのだろう。
明日は土曜日なので、息子が迎えに行くことになった。

私を襲ってくる不安はまあ原因が想定できるとして、
お腹の方はちょっと診てもらった方がいいかなと
かかりつけの近所の医院に行き、「おなか痛いんですけど」というと、即マスク。
「下痢してます?」「はい」で隔離。消毒。レントゲン。血圧測定。で、お薬と点滴。
前にもやったことのある「感冒性胃腸炎」という診断。
おなか風邪とか嘔吐下痢症とかいう。
今回嘔吐はないけどむかむかするのは続いているのと、下痢が決定的なよう。
「うつるけん、注意ね。前にもしたことあるやろ。ちゃんとしとかな」
って先生が帰り際に声かけてくれるくらい(;;)
先生の診察はほぼなし。
ううむ。まあそのくらい症状で断定されるということか。

ということで、3日絶食、以降すこしずつ重湯から慣らしていくという食事療法をすることになった。
はい、もう何回目かな。
確かにこれ徹底したほうがちゃんと治りはするので、従うことに。
(これ書いている時点で診療から3日目。
OS1とおさゆ、一日1パック黒米母湯で頑張っている。
だいぶ回数も量も飲めるようになってきた。
なぜかトイレに行きたくなるので、行く度にまた飲むの繰り返し。)

腸になるのだろうか、おへその2,3センチ上くらいから下がまだ痛い。
喉が少し腫れているせいか、一時期下がった熱も7℃ちょっと。
まあ熱は少しある方が低体温の私にはいいくらいなのかも。

さて、話は戻ってその前夜、育子さんにカウンセリングしていただきました。
育子さんと話をすると、魂の話がかなり出てくるし、
おそらく私のこのパニック的なものや痛みも絶対リンクしているはずで、
そこを取り除かないと体も治癒にたどり着かないのではないかと思ったのです。
原因を絶たないと、と思うのは私の癖かもしれないんだけど。
もう待てないほどしんどいからというのが大きい。

育子さん曰く、
私は数秘学的に「6」の人だそう。生年月日や名前もとにかく6が多い。
で、この「6」というのは妊娠するとかはらむという意味があるよう。
妊婦さんのおなかに似ているものね、6って。
このところ、妊娠する夢をみたことがあって。
何を産むんだろうと思っていたところでした。
2月に産むらしいんだけど(夢では)。
私が生み出すものに悪いものはないはずなのでw、
後生み出すことでその他の汚いものも排出することができるので、それも期待。
しかし、それには苦しみを伴うというね。
本当に産むわけじゃないので、その苦しみ自体は外したいものです。

さて、その6の数字を持つ人は、母的、共感力が強いのが特徴らしい。その通りです。
その他言われた私の魂の設計図は、
・人に施すが、自分が実質的に満たす(=動いて成果を出す)ことを望む。
・責任感強すぎ。
・家族大事。
・とにかく人に献身。世話焼き。
・人と人の調和が大事。
・そのためには自分を犠牲にすることをいとわないところもあり。
・故に周りに影響を受けやすい。
・敏感。
・自分を通してバランスを取ろうとする。
・人の痛みを知ろうと、自分に落とし込んで解決しようとする。

言われることが当たりすぎている!
献身的とかパブリックとか、その前にも育子さんには私のことを
そう表現されていたけど、まあそう本当にそう。
だから、NPOやらソーシャルイノベーションやらやっているし、
非常に気になる分野だ。私の目指す世界は、頑張る人が無碍にされない世界。
頑張るみんなが評価され、安心して暮らせる社会。
マイノリティが泣きながら暮らさなくてもいい社会にしたいんだよね。
が、しかし、そのためにあまりに献身的過ぎて、
自分のことを後回しにするようなところがあるのも確か。
正義感と共感力で私ができていると思うくらいこの二つは、
私を構成する要素なのだけど、
ここが重なると自己犠牲を産む場合が大きいわけで。

育子さん曰く
「堪忍袋の緒が広すぎて、そこが腐っていても自分じゃ気づかないような
ところがある。腐れていたとしても、調和するならOKとするようなところがある」とのこと。
はあ、なるほど。本当にそうです。
で、
今世は、自己犠牲にならないというチャレンジをしているよう。
そこはせめぎ合っているので、大変なチャレンジではあるけど、
これしかないというのは顕在意識の自分も思っていることだ。

育子さんには、「戦場の第一線で、怖くて絶望感を持ちながら、
それでも素手でたちあがってしまう」という言い方をされたが、
それものすごくイメージできる。戦国武将なら一発でアウト。
本当に勝つためには逃げてでも次の戦略を練るという戦法に行くべきなのに、
正義感や「こうあらねば」が強すぎると自ら犠牲になることに走ってしまう。

これの一つの原因は、自分じゃ方法論がわからないことにある。
今の日常的にもそうだけど、私は行きたいところはわかってるけど、
やり方がわからないことが多い。
正義感と共感でせめぎ合う時に「こっちだ」と判断できないことが多い。
だから、泣きながら義を貫いてしまう。
義を絶対貫きたいわけでは本当はない。
本当は私だって幸せになりたいのだ。
でも私だけが自分の幸せを望んで逃げたら後はどうなるの?
とついつい思ってしまうのだ。
直虎を見ているとめちゃくちゃ共感してしまう。

一人で決めなきゃ、一人でやらなきゃという固定観念が強いのも、手伝っている。
私の特徴が他者が要るゆえの「調和」を保つことなので、
これというスキルで表現できにくいのだ。
具体的な成果が見えにくいものは評価されにくい。
なので全部自分で、とか自分がやっているということでしか成果を測るすべが見つかってないことも問題。
社会的にも私がやっていることはとても大事なことだと思っているが、
数値で測れないのでアピール力が弱い。
このことが自分を肯定できないことにもつながっている。

そこは自分でもわかっていたけど、他者から聞くとやっぱりそうかと思わざるを得ない。

さて、またこの魂の癖以外にも、私の中には特徴があるらしい。
・衝動的
・むじゃき
・こども
・すねる
・やだやだ
・無責任
・表現したい
・得意な表現方法で表現する

上と真逆ともいえる部分で。
そして、確実に私はこれを持っていることもよくわかる。

上と対比するならば、母とこどもだ。
つまり、母的な自我とこども的な自我を私は持っているということになる。
後者はインナーチャイルドと言われるものだろう。

この子はすごいパワーを持ってることは私も知ってる。
小さい頃の私であり、そのエッセンスを持ち続けて私の中に存在している子でもある。私の核ともいえるのかもしれない。
「とにかく子どもである、というのが特徴で、
「本当のこと」が知りたいと思っている。」と聞いて

なんでだろう、これの本当はどこにあるんだろうって、私は常に考えていた。
そのことを思い出した。昔住んでいた家の情景が浮かび上がってくる。
3歳前後だろうか。
安心していろんなものから本物を見たかったけど、できなかった。
うちは家が厳しかったから。
私が興味を持って何かをすると「すぐそんなことして!」と怒られていた。
本家だったから特に祖父母にはやられていたなぁ。
私がちょっと変わったことをすると母が叱られることもわかっていたので、
私はとにかく和を重んじる子になった。
名前に和がついているのも、調和を大事にするようにという意味だと聞いたことがある。
そうか、あの頃から私は自分を壺に入れてきたのだ。
少し大人になってくると、まあ自分でやりたいこともできるようになる。
で、大学生で事故り、足の大腿骨を折り全治半年というのをやってしまった。
自分の身が痛いのは仕方ないと思った。
辛いけど、「これで大難が小難になったかも」なんてかなりポジティブだった。
でも当時一緒に住んでいた祖父母には大きく迷惑をかけてしまった。
治り掛けの5か月目でまさかの再骨折で再度手術。
この時にはもう息をのんだ。
私のせいでまた祖父母が大変な思いをすることを本当に申し訳なく思った。
私のせいではきっとないと思ったけど、私の行動は人に影響を与えてしまうんだとつくづく思った。

そんなことを思い出した。

この子を救ってあげることで私自身が救われる。
手立てが見つかると、ほっとする。
「なにがほしかったの?」「ここにいていいんだよ」から始めればいいと
育子さんは教えてくれる。

”欲しいものを与える”こと。
インナーチャイルドちゃんが好きなことは、
食べる、行く、会う、聞く、話す、書く、わかってもらうより言いたい。←これってよくわかる。私もFB記事はがんがん上げるしシェアするけど、誰がいいねしてるとかコメント上げてるとかあんまり関係ないもん(笑)
自分の中を整理するとかとにかく人に伝えたいとかその思いの方が強いんだな。
今書いているのもそのため。

で、大人な私は、その子を子育てするように相手をしながら、
しつけもしなくちゃいけないという。
こどもは大きなパワーを持っているから、しつけをしないと暴走する可能性があるとか。甘やかすばかりでもダメなんだな。
まあ私は厳しい方なので、その辺は大丈夫な気がするけど、
どっちかというと甘やかすのが苦手かもだ。
そこはでも声をかけ続けなきゃだな。かなり無視してきているので、すねてそう。

でもこちらは、やることがイメージできるのでいい。

問題は、魂さんの方だ。
この魂という人たち(人ではないけども)は感情抜きだからややこしい。
それについてはまた次の投稿で。















怒涛の波の後は

前の記事は、母の一回目の手術(運び込んだ日)で、
その一週間後にまた血栓が詰まって手術でした。
その間、家では夫が何しても吐く状態で。
救急車で運ぶこと2回。

母の2回目の手術後ヘロヘロになって帰ってきたら、夫がげろげろしてて荷物置いてすぐ背中をさすって、、という生活。
いろいろやって、患者の会の方に泣きついて、
どうにか入院先を確保してもらって。

そんな生活はやっぱり持たずに、崩壊しました。

ああ、思い出しただけでもまだくらくらする。。。

夏バテも手伝ってかつぎっくり腰もやった9月頭。
今思うと、ぎっくり腰の原因はおなか風邪だろうという整形外科での診断は当たっていて、
その後ちゃんと漢方は飲んでいたのだけど。
精神的な部分の不安や疲れはもう増幅するばかりだったのだろう。

大好きな仕事を一日終える途中から、あれ?と思いつつも、
帰宅の途に就き、途中まではうまくいっていたのだけど、
駅に着いて2度ほどトイレに行った後に、動けなくなってしまった。

バスに乗れない。
バスに乗ってバス停まで保つ自信がない。
やばい。
この辺の心療内科を探すも、時間外。通っている病院も同じ。
仕方なく派出所へ。
「すみません、この辺病院ないですか?」
おなかをかかえて聞いてみる。
「もう、この時間だからないですよ。救急車で行きますか?」
と言われる。

救急車呼ぶほどでもないと思い、
「いやぁ、救急車は、、」と断る。
でも、どうしてよいかわからない。むかむかする。おなかが痛い。
「じゃあちょっと休んどきますか?」と言われ、
少し休ませてもらうことにした。
とはいえ、休んでも一向に収まる感触もない。足が寒くてたまらない。
警察の方はお水を出してくださった。
ありがたい。

スマホでだれか、、、とみる。
オンラインにおっちゃんが!
メッセージを送ってみる。長文が打てず、「おっちゃーん」「ヘルプさせてくださーい」と短文ずつしか打てない。状況報告しつつ、打てなくなる。

ふと、電話しようと思い仕事パートナーの某氏にコール。
「ごめん。迎えに来てくれないかな」「今どこ?」「博多駅の警察のとこ」「わかった。30分後くらいに行くから」
もう少し話をした気がするけど、察して来てくれた。
彼は私の持病のことも知ってくれているから、こういう時説明しなくてもいい。助かる。

私にとっては、派出所に助けを求めて入ったというのが、一つの進歩だった。誰かに頼るという。
そして、某氏にコールするというのも大きな一歩だった。
頼るところがある。ダメな時のショックを考えると自分で解決する方が楽。そういう生き方が身についてしまっていたので、ぎりぎりまで我慢する癖がある。
でももう限界。
電話をして、すぐ楽になったわけではなく、彼が迎えに来てくれても正直家に帰れるとは思えなかったが、とりあえず一緒にそこを出てタクシー乗り場に向かうくらいには、どうにかできるようになった。
荷物を持ってもらって腕を借りる。これが本当にほっとした。

この間におっちゃんからメッセが入っていた。
私の短文に混乱している模様。育子さんにつないでいただいたそう。
心強い。

タクシーで家についた。息子は塾なのでそれまで某氏に居てもらうことにした。
お湯を沸かしてもらい、白湯を飲んだ。そしてお風呂に浸かった。
あったかいお湯は足には適温だが、胸には高温なようで、長く浸かって居られない。
胸がドキドキする。
なので、10分くらいであがる。だから足はまだ温まらない。でも仕方ない。
頑張っておさ湯を飲む。
そして軽く某氏と話す。
きつい時は私が黙っているので、必要以上には語らない某氏。非常にありがたい。

育子さんからメッセが入る。
状況説明して、「大丈夫になるようなエネルギーあったら送ってください」というアバウトなお願いをしてみる。
身体の温め方や落ち着くためのご真言を教えてくれる。その言葉にすがった。

1時間ほどか。
全体としては落ち着いてきたが、波が来る。
ああ、落ち着いたと思う時と一瞬をついてうわーっと不安が襲ってくる。
胃と腸の痛みは、夫や母の痛み苦しみをなぞっているかのよう。
そもそも私は共感力がありすぎるので、これらを数週間見続けてきたからだろう。
育子さんに言われたが、私はそういう人の痛みを自分の中に落とし込んで感じ考えるたちらしい。仕方ないと言えば仕方ないのだが、このやり方は自分をダメにする。

育子さんからは「イメージでいいので、繭を作って、あらゆるダメージや影響から自分を守るようにすっぽり安全空間に入っているような想像をしてください。」と言われる。
「何か出てくるたびに、ポイポイっと捨てる。」
「イメージなので、今はとにかくご自身の身体を守りましょう」

しかし、イメージがなかなかできない。
繭を作り始めるというイメージは出来る。でも完成したところまでがイメージできない。
「イメージできません・・・」と泣き言を言うと、
「絶対大丈夫ですから。私も一緒にやってますから。まゆ、だいぶ作れていますよ」と言ってくれる。はあ、すごい。一緒に作ってもらえてるってところに、ものすごくほっとする。

そんなこんなしていると、息子帰宅。
ハグしてもらう。べたついて嫌そうな息子。状況がわかってなさげ。
私、苦しいのでベッドに横になる。
某氏が息子に状況説明してくれて、「じゃあ、バトンタッチね。頼むよ」と帰っていった。ありがたかった。

察した息子はそれからいろいろやってくれた。
足湯のためのお湯組みとか私のお願い事はほぼ聞いてくれた。


育子さんからは「昨日でっかい太陽フレアが起きたので、しんどくなる人がいっぱいいる。電子レンジにかけられたみたいに心も体も振動されてついていけなくなる。でもそれはあなたのせいじゃない。大丈夫」と励まされる。

自分の中に感じた孤独感について語ってみる。
「よっぽど頑張ってこられたんですよ。」という言葉に泣きそうになる。
一人で頑張ってきたというフレーズにはこのところ本当に涙が出るので、いつか弾けるだろうとは思っていたけど、こういう形できちゃったか。

「今はとにかく体を優先して。疲れ切っているから回復させましょう。大丈夫です。後は何とでもできますから」
と言ってもらうけど、私は不安だった。
それで「ひとつ聞いていいですか?」と質問してみた。

私の孤独感について。
私は、自分をツボのようなものに押し込んでいる感覚がずっとあった。
どうにか出たいと思っていつもあがくが、なかなか出れない。
中は安心ではあるけど寂しくてたまらず泣いてしまう。そんな感じ。
だから、今世は頑張って出ないと努力しないとと思っている。でもそれが思い込みなのか?

育子さんは、
「それはツボでも自分を守る壁でもない。
あなたが感じているのは、”都合の悪いことに蓋をすること、逃げる事への怒りと罪悪感”だ」と。
私自身は決してその安全な場所には決して入ってはいないそうだ。

「痛いのは嫌だし、苦しいのは逃げてもいいんです。
本当に向き合わなければならない魂の摩擦(学び)は、その逃げてはいけないのに怖い!逃げてはならないのに嫌だ!逃げてはならないのに苦しい!という戦場の第一線の兵士みたいな感情体験への、ご自身の理解をもってして、初めて気づきという形に変わっていくと思います。魂の体験したい刺激の癖なので」・・・と、育子さんのメッセージは続く。
線上の第一線に立つボロボロになった自分のイメージは容易に想像がつく。実際本当にそうだと思った。必死で盾も剣も持たずに立っているイメージ。それ、勇気あってもダメだよね。勝とうと思えば手ぶらじゃダメなはずだけど、妙な正義感や責任感が背を向けたり、逃げることを赦さない。だから怖くて寂しいけど、立ち続ける。もう嫌だ~~~~!
私の叫びはこの叫びだったのかもしれない。

その後も魂の話をきいていて、随分と納得した。
心配症息子が横に来てちらちらスマホを覗きながら、おなかをさすってくれる。
寝る前のお薬を飲んだからというのもあり、かなり落ち着いた。

長丁場にフォローしてくださった育子さんにお礼をいい、
おっちゃんと某氏にメッセ入れて眠った。

横では、息子がくっついていてくれる。ありがたい存在だ。
もう中3だが、今の私にはこうしてぎゅっとしてくれる存在が必要だ。

怒涛の一日が過ぎた。

翌日朝は前の日の1/2くらい。
でも夕方には前の日と同じぐらいにまたなっていた。落ち着かないじゃん。と又絶望感と不安が襲ってくる。
うう。
あれだけ育子さんにもいろいろ聞いて夜には落ち着いてきたのに、やっぱりだめなのか私。
呆れられるのを覚悟しつつ、育子さんにメッセ送ってみる。
もう頼るところは今ここしかない。

「カウンセリングしますか?」という育子さんの言葉に「お願いします!」と即答した。自分じゃもうこの状態をちゃんとする自信がなかった。
身体を治すだけでは解決しそうにないと思ったからだ。

この日は金曜日。息子は帰って来てかいがいしく動いてくれる。友だちと遊んでくるといいながら、お買い物もしてきてくれた。ご飯の支度もほぼやってくれた。おかずは大体あったのだけど、もうヒトシナ作るというので、「じゃあスクランブルエッグがいい」と注文。作ってくれた。

即席お味噌汁とごはんとおかずくらいなら行けると思っていたのだけど、目の前にすると全く入らない。
頑張って作ってくれたのでスクランブルエッグを口に入れてみる。いつもは大好きなのにいっぱいかまないと喉に入らない。おかしい。
味噌汁も汁なら入ると思うのに、入らない。イメージと体が乖離している。
また大きな波が襲ってきた。息子にハグしてもらい、トイレに行く。
・・・いつになったら、これ元に戻るの?本当に戻るの?
不安は不安を呼ぶ。

育子さんとの約束は21時半。
この時には発作は前日と変わらないほどになっていた。パニック障害の一つだろうと思うけど、パニック障害自体は1,2時間ほどで治ると書かれているので違うのかもしれない。じゃあこれはなんなんだろう?名前がよくわからないので、パニック障害みたいなのと呼んでいる。もうギリギリ。。

この日はそれまで育子さんから言ってもらった言葉を、印刷して読む一日を過ごした。
こう書くと「マメね」と思われてしまうかもしれない。実際私はこういう仕事の仕方をする。スマホでは情報が流れていくので、大画面や紙に落として読まないと理解しにくいのだ。で、スマホを見るのもかなりつらい時がある。妊娠中みたいだ。
妊娠中はスマホと電子レンジがつらかった。太陽フレアの影響は大きいのだろう。むかむかする時には、特に辛いから。なので、頑張ってPC前に座ってスクショを加工して印刷。紙は10枚。

この用紙がひとつの救いとなった。

次回のブログは、
・え?退院?
・私の魂の癖と今回のテーマ
・私の中にいる小さな私のこと。名を呼んでみたら
の3本です!(サザエさん調~♪ 
こんなことも言えるようになった4日目!万歳わたし!)








 

 

怒涛の波がやってきた。やあやあやあ!

昨日の写真。昨夜は救急病院の手術室待合で、一人過ごしていました。

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母が嘔吐下痢で動けなくなり、夕方救急病院に搬送すると、
急性の病状が発見されたため、緊急手術となりました。

6時前に搬送、初見の血液検査で?となったようで、
検査を繰り返した結果、緊急の状況が発見されたため、
消化器、循環器、外科の先生方の連携で手術が決定。
手術前の同意を本人を前にというので処置室に入りましたが、
もろもろの説明を受け母に確認をしながら書類を書いているそばから、
横に救急車で来たであろう患者さんが運び込まれ、
先生や看護師さんたちがわーっと動き処置をされるっていうのを2度ほど。
「コードブルーの世界だわ」とちょっと興奮。
まあ、うちが一番そういう状況だったと思いますが(^^;

11時過ぎに手術開始で予定の2時間で終了して、処置もろもろ30分。
顔を見れたのは午前1時30分過ぎでした。
下肢の切断の可能性はまだ50:50。
でも先ずは第一段階クリア、というところだそう。
検査結果の数値が異常に高い別の箇所もあり、
それはまだ特定されていない状態なので予断は許さないのですが。
高齢なので、急変の可能性がと、かなり念を押されました。
こういうのは、病院としてはもしもを考えてのことなのででしょうが、
家族的にはドキドキします。

まあただ母はかなりラッキーな人で、 母の危機的状況の時には、私が必ず付きそい、
決断を促す係りになっています。
過去3回そうで、今回もそうでした。
77歳一人暮らし。いつもは私は数週間に1度行くくらい。
今回は、娘@山形が、彼と帰省するというので、食事会をセッティングしていたのでした。
そうじゃなければ、母が「調子が悪いから今日は止める」なんて電話はしてこないし、
一人でもっと頑張っていたはず。
であれば、今頃は脱水と血栓がもっと詰まって、足の壊死どころではなかった、
やもすれば命に、、と思うと、大変だったけど状況的にはよかったのかなと。
意識はしっかりしているので、そこに大きくほっとしています。

下の写真は、母の検査待ちの間に、 母の保険証を探しているときに、
彼女の財布の中から出てきた父親の写真。
32年前に逝った夫の写真を大切に財布に入れてるってどうよ。
ぐーっと苦しい思いが胸に。涙腺開門。

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てな状態の昨日を経て今日。
入院関係の買い物や連絡、病院行き。
しかも山形娘たちと長崎から義母も来ている状態。
私はよくやっているよね、ほんとに。だってやるしかないじゃん。
でも、ちょっと限界。
母の集中治療室→同じ病院に入院している夫病室にたどりつき、
今日のミッション終了。頭痛と眠気に耐えかねて、タクシー帰宅してから爆睡。
といっても変な夢ばかりみる浅い睡眠ですが、それでも随分すっきり。
睡眠ってホント大事。

疲れると弱ります。
関係者のみなさまには、ご迷惑をおかけしていますが、
頼れるところは頼ってここまでです。
夢チャレも本番間近。どうにか体力温存しつつ準備します。
誰か私に力をください~。
言葉にしなくちゃ収まらないので、とりあえずここまで自己開示。

自分が知らない私を知るその③熊本・浮島神社へのポートレート撮影の旅

その②書いてから、忙しさで〆が遅くなってしまいました。
今日こそは〆る!
その①はこちら↓

自分が知らない私を知るその①熊本・浮島神社へのポートレート撮影の旅 - ほほーんと暮らしたい(再)
その②はこちら↓

自分が知らない私を知るその②熊本・浮島神社へのポートレート撮影の旅 - ほほーんと暮らしたい(再)

さて、浮島神社の駐車場側でひとしきりのんびりしたところで、美子ちゃんが、
「あっちに神社みたいなのが見える~。あそこに行ってみたい!」というのでよくよく見ると、田んぼの真ん中にこんもりした森っぽいのが見え、鳥居のようなものが。

せっかくだし、行ってみるかと、車に乗って駐車場を出て10メートルくらいのところに、堰?川?せき止められた場所を発見。水がとっても澄んでいる。
その場所を通過し、目指す鳥居の場を目視するも、あぜ道を行くしかない感じ。
おそらくこの辺の田を守る、神社というより祠のようなものなのだろうと思う。
そこにはそんなにご縁がないかなと3人とも思ったので、気になる先ほどの場所に戻る。

水はとてもきれいで、たにしが歩いた後がいっぱい見える^^
もっと先まで行くと、土から砂や小石の底面になっていて、じーっとみてるとあちらこちらからぷくぷく。。

ここだったんだ…!

浮島神社を囲む池は湧き水だと書いてあったのだけど、どこから湧いているのかが確認できなかったのがちょっとひっかかっていた。
もちろんここだけではないのだろうけど、「湧き出る場所」は私が求めていた場所だった。
最初は恐る恐る手でばしゃばしゃするだけだったけどw
そのうちやっぱり耐えかねて、靴下を脱いでイン!
水は冷たくて、でも我慢できないほどでもなくて、ひんやりと心地よい「静」が感じられる。
そのうち真ん中あたりまで行ってみたくなって、じゃぶじゃぶ。
するとちょうど私の足元から、ぶくぶく、ぷくぷくと泡が。「湧いてるっ!!」
もう嬉しい!理由なく嬉しい!
というシーンが、この写真です↓

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子ども心健在。というか、そもそもな私が私のままにいたというか。
しばし、遊んだ後、この気持ちのいい水辺で、目を閉じて風と水の感じ、日の感じを感じて座っていた。
向こう岸には、アブラナ系の草花とモンシロチョウがいっぱい。

賢太郎さんがパシャパシャと写真を撮っている音も気になりましたが、随分リラックスできるようになっていたかな。

私の緊張しーは大人になってからの方がひどくて、
それって経験のマイナス部分が積み重なってできたもので。
無知な時には敵や事象の姿がみえないから、逆に恐れを感じずに済む。
無敵~って感じで突き進むことができる。
でも、敵や事象を経験値的に知ってしまうと、
「どうにかするのは自分しかいない」と妙に構えてしまう。
子育て期間の孤独さが、ここに拍車をかけてしまった。
「誰も頼れない」という思いは、絶望感を産む。
「自分でやらなきゃ」という呪いを自分で自分にかけてしまった私は、
今だその呪縛から逃れられていない。
でも、その呪縛を解きたいのだ。
呪縛を解くカギは、きっと自分の中にある。
でもその、昔は知っていた私を、私は奥底にしまい込んでいる。
傷つくことを避けるために。私の素の部分だけは、誰にも侵害させたくないからか。
それを思い出すために、私は賢太郎さんという他者の力を借りることに手を挙げたのだ。

今ここまで書いて、「天岩戸」だなとふと思った。
私の中の私は、天岩戸の中に閉じてしまったあまてらすさまと同じ。
あめのうずめさまやや他の神々がやったように、この子を外に引っ張り出さなきゃいけないんだ。外に出るための鏡が、今回のポートレートみたいなものなのかもしれない。
私は凡人なので、天照神のようにはいかないから、何度も何度もやるしかないのかな。なかなかに長いけど、これがいきるという修行なのか。

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賢太郎さんが、1000枚ほどの写真の中からこの一枚をチョイスして、言葉を書いてくれたのが、この作品↑。

他者の言葉には、私が知っている自分と知らない自分が居た。

この写真が届いた時に、彼に送ったメールが以下↓。
===
「ひとつひとつの出会いや発見を大切にしてる」、というフレーズは

顕在意識の自分にあります。
でも
「日々別れ際の切なさを感じているかのように」
というのは意識したことがなかったので、新鮮です。
とはいえ、きっと私は寂しいのが嫌い、切ない気持ちになるのがつらいので、
そこは見ないふりをしています、多分。
切なさをもかみしめると、一つ一つの出会いや発見がもっと大切に、ありがたく思えるのかもしれませんね。
そんなことを思いました。

「感」という文字は、私の中を占める結構大きな要素です。
感覚で生きてますからね~笑
それと私は、感じることに敏感です。敏感すぎるから不安定になることも多く、気づかないふりの発動もしていて、「ふたをしている」のがこどもの頃からの癖でもあります。
自分のパンドラの箱を、開けようかどうしようか迷っているところでもあります。
どうせ一度の人生ならあけてみればいいのですが、怖い気持ちが立ちますね~。
===

ここでは「ふた」「パンドラの箱」って書いてるな。
そうか、「天岩戸」と「パンドラの箱」はおなじようなものだったんだ笑

蓋は自分で開けなくてもいい気がしている。
「自分でやらなきゃ」が強すぎるうちは、どうやってもぎこちない。
やるべきことをやりつつ、たまには走って後付けして、たまには人に委ねて後付けして、そうやって誰かに頼りながらも納得解を見つけ、今より少し幅広い道をあるいていけるようになれればいいなと思う。今の私は。
これがいいのかどうかは、わからない。もっと走った方がいいような気も、一方ではしているから。でも時期とタイミングが必要でもある。今はどっちかというと粛々とローペースで、しっかり地道に動きながら確認していく感じかな。多分そこができてない。

自分の感覚に任せて、熊本にも行ったし。そこで出会えたものは私の宝物になったし。
人よりもゆっくりだけど、それが私なのだろうな(性格的にはせっかちな馬なのだけどw)

賢太郎さんのブログを再掲しておきます。

賢太郎さん、美子ちゃん、お世話になりました。ありがとうございました。
今度はおうちにも寄せていただきたい!

kentarotakase.jugem.jp


 



自分が知らない私を知るその②熊本・浮島神社へのポートレート撮影の旅

その②です。その①はこちら↓
miww55.hatenablog.com

撮影当日はいいお天気。
菊水まで高速バスで行き、お迎えに来てくれた二人の車に乗って、市内へ。
まずは腹ごしらえということで、石窯ピザのお店へ。
車の中からピザやさんまでも、二人の夫婦漫才みたいなやり取りに(本人たちはその意識全くなし。)口をはさむ余裕がありませんでしたw
いや、、、、やり取りというよりは美子ちゃんのツッコミが容赦ないのよねwww
でもつっこまれるスキがありすぎる賢太郎氏(^^;
いいコンビだなぁと改めて思うのでした。
このあたりは、麦の刈り取りの真っ最中。大きなコンバインが動いてました。北海道みたいな丸々ロールがいっぱい!刈った後は焼き畑にするようで、あちこちから煙が。
福岡市内ではなかなか見れない光景です。
こんな感じ。↓

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30分くらい車で行ったでしょうか。
目的地の嘉島町の浮島熊野坐神社に到着。
途中古墳らしきものもいくつかある。そっちもなかなか興味深い。

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正式名称「浮島熊野坐(ます)神社」
坐というのはおわします的な意味かな。最初にこの神社の存在を知った時に感じた通り、熊野系の神社なのでした。
国を創った夫婦の神様が祀られています。
私のキーワード「生まれ出る」そのものかも。

この地は、熊本大地震で大きな被害にあった益城のお隣の町。鳥居らしきものが横たわっていたけどその被害にあったものかもしれません。奥に見える建物にはビニールシートがまだかかっていました。

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まずは赤女稲荷様、そして念願の馬頭観音様にお詣り。
鳥居の並びとは逆に座っていらっしゃいます。

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馬頭観音さまは頭のところに馬が乗ってて怖い顔をした方というイメージがあるのだけど、こちらの方はお馬さんに乗ってらっしゃるとっても可愛らしい感じの方。
赤女稲荷(あかじょいなり)さまは女性事業家の守り神でもあるらしい。(後から知りました)
このところの私のテーマは、女性として仕事をすること。男性社会に生きているので(というとまた怒られそうですが、まだまだ世の中は男性社会だと思います。女性管理職が半分になったら、女性政治家が半分になったら、やっと「男女共同参画社会」になるのではないかと。私が思うある程度のメルクマールですけどね。)
この社会で仕事する時には、男性並みのスキルや手法を使わねばなりませんが、私はそれにどうしても慣れません。そこに必要以上のパワーを使うのです。
世の社会進出してる女子たちはほんと頑張ってると思う。社会進出という言葉自体がもう男性社会だということの象徴だよね、なんてこの手の話になると尽きないのですが。。。
で、私はその社会はその社会で機能しているのだろうからいいとしても、私はそこで存続することができないので、じゃあ私が活きる場所はと思うと、女性であることそのままで仕事ができる場所なんです。

そんな場所で私が自分の命を果たし、やりたい仕事を全うできますようにと祈りました。
特に馬頭観音さまには具体的なお願いを、赤女稲荷さまには仕事において今欲しいもの(足りないと思ってるもの)をお願い。

馬頭様は早いというけど、帰ったらちょっとばかしいい感じのお話が!どう転ぶかはわかりませんが、気持ちが上がります。

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浮島熊野坐神社ご本殿。
こざっぱりして綺麗な空間です。ずーっとここに居たい位居心地がよい。
こちらでは、今回寄らせていただいた理由と私の願いをお伝えしました。

池の方から入ってくる風が気持ちいい。
しばしこの辺で休憩していると、「美和子さん、こっち来て」といきなり撮影が始まりました。
少し日の光が落ち着いてきた感じ。そしてとにかく静か。風がいい。
しばし、その場を感じていました。
その辺の写真がこちら↓

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どんな風に撮られればいいのかわからないっ!

パシャパシャ撮ってたら、神社の方に「何か雑誌かの撮影なら許可を、、、」と言われてしまいました。
まー、普通に観光って感じじゃまったくない撮影風景ですわね、確かに。

なのでこの辺でこの場の撮影は終了。
お詣りしていなかった厳島さまにお詣りして、その後おみくじを引きました。
吉。いつものように「花の咲く日は遠けれど巡りくる春の訪れ心して待て」。
忍耐ですね忍耐。ふう。

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厳島神社さま。いちきしまひめさまーって、お願いしてきました。お願い事は秘密。いちきしまひめさまにはいつもおなじことばかり。

神社ゾーンは終わって、しばらく池の周りをお散歩。暑い!撮影どころじゃない!
この池はどこかから流れてくるのじゃなく湧き出ているものだそう。でもデカすぎてイメージがわかない。
とはいえ、水辺はなんやかんや言って楽しい。ちょろっとお水に触ったけど、水ぬるむ感あって「ああ、初夏ね~」って。梅雨に入ったばかりなのだけどw
こんな時間はいいなぁ。
日常車で動かないので(ペーパードライバーだからか)行動が都市型なのよねぇ。

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風が良い。
ふと見ると、いちゃついてるカップルが!笑
この後すぐ呼ばれました~。
実は二人でロケハンしてくれてたみたいです。写真撮って様子を見てるってところだったみたい。
アジサイの色がとっても素敵だから、この辺で~」
う、うん。どんなポーズすればいいのかなぁ。迷う私。
女優になりきれないので、とにかく普通にアジサイを愛でるwww
ひたすら肩に力が入ってるらしい。美子ちゃんにオイルもらってつけてみる。
ヤングリビングのオイルは、やっぱりほっと安心する。


ここのアジサイは色がほんのり。薄手ではかない感じ。でも小さいアジサイは蕾に勢いがあるのです。こんな自然に癒されて満たされてるんだなぁ、人間って。
そういえばアジサイはうちの近くにもいっぱいある。日常って、そんなことすら忘れてしまうなぁ。f:id:miww55:20170619235056j:plain

賢太郎さんの感想はこちらのブログにあります。↓
あ、後半ネタバレあり。

kentarotakase.jugem.jp

 

駐車場の向こうの方にも行ってみました。

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向こう岸から見た浮島。ほんと美しい。(コーンさえ見えなければ完璧なのだけどなぁ~)f:id:miww55:20170619235847j:plain

空が広ーい!
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こちらでは、美子タイムがw
なんか微笑ましくてねぇ。つい撮っちゃった。

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この時のきっとこちらの写真。
満月は浮島へ | Yoshiko Art


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歌う美子嬢。天女みたいだ。

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美子ちゃんとのツーショット。私はまぶしそうw
こういう時、決め顔ができないんだよなぁ。

こちら側は綺麗ばっかりではなく、東屋が崩れているのが2体。柱が弱いからなんでしょう。そのまま屋根が落ちてぺしゃげてる感じでした。
なんだかカメラを向ける気になれませんでした。
当時はこちらの駐車場はがれき置き場になってたらしい。
今は、なにもなかったかのように草木もまた生い茂っているけれど。1年前のこと。
それもなんだか必要なことだとして自分の中に残りました。
ここに来させていただいた意味。今これからを考える必要性。

また長くなったので、その③に。
その③は、写真がないので早めに終わります、多分。

 













自分が知らない私を知るその①熊本・浮島神社へのポートレート撮影の旅

3月の熊野でご一緒した高瀬夫妻。
奥様の美子ちゃんは、インスピレーションのまま描くエネルギーアーティスト。

Yoshiko Art 高瀬 美子
そして夫君の賢太郎さんは、これまたインスピレーションで詩を書くアーティスト。

詩人stan の 非凡にして平凡なる日常

その彼が今回、「あらたに取り組みたい、人物撮影。たくさんの経験を積みたい今、モニターとなってくださる方を、募集します。」というのに、反応しました、私。

実は、鏡を見るのも写真を撮られるのも得意ではない私。
これまで、何度も写真を撮ってくれる方はいたし、写真やってる方のモデルもやってきたけど、、、、なぜか構えちゃうんですよねぇ。(魂吸われるとは思ってません(^^;)
がっかりしたくないんだろうな。そんな気持ちがどこかにある。
でも、そんな自分にちゃんと向き合わなきゃという気持ちの方が大きくなっている、そんな時でした。

講義でジョハリの窓を扱っている最中でもあって、「自分が知らない私」を見るには、自己開示をすることと、他者の助け(フィードバック)が必要であることは重々承知。
常々それは自覚しているので、やってるつもりだけど、自分が知らないという状態は無自覚な状態なわけで、その状態を作るには自分の頭が働かないようにしないと体や心が前に出ないのです。
そういう機会は自覚があっちゃ作りにくく、やっぱり他者の助けが要るのですよね。

でもやっぱり写真は得意分野じゃないんだけど、
でも、賢太郎さんの今回の募集に、ふと「行ってみようかな、熊本もほぼ一人では行ったことないし」と思ってお願いすることにしたのでした。彼らの新しい暮らしぶりも見たかったし。(これは結果的にかないませんでした。また今度ということだろう^^)
まあ色々言い訳めいたことを並べつつ、結局のところ、どこかで「いつかはこういうことをしてみよう」とは思ってたんですよね、そう、気持ちのどこかで。
で、そのこと自体は苦ではない。ならやってみよう、やってもらおうと素直に思えることができる瞬間がやっと来た感じ。
他者である賢太郎さんは、きっと自分が見えない自分を切り取ってくれるんじゃないかという淡い期待❤

~~~
ということで、彼らとメールでのやりとりスタート。
最初は場所の設定から。
最初のメールで、案内されたのは熊本市内の某所。
昭和レトロな感じの、若干すたれたような感じの場所でした。

昭和レトロは、苦手ではなく逆に好きな部類です。
でも検索してみている風景には、何か違和感がありました。その一つは空気感。
流れがなく止まっている感じがするのです。街も時代から取り残されたような。
そしてそれは、私の中にある要素の一つなんです。そこはよくわかっています。
でも、今私が見たいのは、そこじゃない。ある意味、その昭和な部分は「私が知っている自分」で、私が見たいのは「私が知らない自分」または「私が忘れている自分」なんです。
彼らとメールでやりとりをしている中で、それがわかってきました。

私がメールで書いた文章が以下。
==
賢太郎さんが読み取ってくださった私は昭和なんですねぇ。
確かに自分の中に色濃く昭和が(というよりその時代を生きた自分)
が残っていてそこがスタートな自分ということは自分でも自覚しています。
で、その自分を否定するものではないのですが、
そこから出れないのが問題だなと最近思っていまして。

私を作ったのは紛れもなく昭和なのですが、
そこから平成、そして再来年にはきっと新しい元号に変わるだろう未来の可能性を
私自身は見出したいと思っていて。

最初は、(場所の選定については)お任せで行こうと思っていましたが、(最初ご提案のあった)〇〇町を調べてみて(写真を見たりして)、
「ここは私の中にあるものだけど、私自身はここからもっと未来に行きたいと思ってるんだな」ということを感じました。
昔は動いていただろうけど今は動きのないところにとどまって居たくはなく、
私が息ができる場所、私が生を感じることができる場所がいいなぁと。
正直、どんなところがいいのかってこれというところがあるわけではないのですが、
緑、水、湧き出るところというのがキーワードな気がしています。
海ではないなぁ。ちょっとした池のほとりとか。
閉鎖的ではなく、息ができそうなところ、、、
===
最初は、キーワードすら全くなかったのに、このやりとりの中で「これではない」というモノが取り外された時に、やっとキーワードが浮かび上がってきました。
自己開示をし、他者からのフィードバックで出てくるものがあります。
これってジョハリの窓でいえば「盲点」(自分が知らず他者はしっている私)かな。
まだまだ「未知」の窓まではいってなさそうだけど、ここまででも私的には「おおっ!」って感じ。

そして、次のメールが来ました。
===
熊本の嘉島町 というところに
浮島神社があります
http://www.ukishimajinja.com/index.html

水がきれいなところ
そこは いかがでしょう
 
あたらしいものを産み出す
そんな場所のように感じます
===

初めてみる地名と神社の名前です。すぐに調べてみました。
で、驚きました。
湧き出る水、自然。生まれ出る。まさにな場所でした。

浮島神社の御祭神は、いざなぎさまいざなみさま。
ああ、これは熊野詣での続きなのだなぁと思いました。私のルーツをたどる旅。
「浮島」は熊野の泊まったホテルの裏手近くにもあり、なんだか妙にご縁を感じて一人で歩いて行った場所。
そして太宰府の「浮島様」へは、いちきしまひめさまがいらっしゃるのから行くのです。この熊本の浮島にも、なぜか「厳島神社」があり、いちきしまひめさまが祀られているのです。
なんだかそんなところにもご縁を感じてしまいます。

もうひとつ、こちらには御末社で赤女稲荷さまと、お会いしたくて探していた馬頭観音さまが!
いちきしまひめさまも赤女稲荷様も、女性に関する神様。
この水の湧き出るところに女性のための方々が居らっしゃるというのは、私にとってはとても自然で、なぜかほっとします。

そんなこんなで、行く前からテンション↑!
神社詣りをしようとは思っていなかったのに、やっぱり神社になってしまうのね。
でもそれも面白い。

メールでは、「3日後ではどうか?」という連絡。金曜しか時間が取れないと言っていたのでした。
動く時は本当に話がさっと動くものです。丁度九州地方は梅雨に入り、天気も怪しいけどその日は晴れるらしい。即その案に乗りました。

またまた前段でこんなに長くなってしまったので、続きはその2で。