ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

鎮国寺に行ってみた②

さて、いよいよ本堂に。
本堂には、5つの仏さまが祭られています。
右から、如意輪観音、釈迦如来、真ん中に大日如来、その横に薬師如来阿弥陀如来と続きます。
仏様が衆民救済のため、神に姿を変えて現れたとする本地垂迹説があるらしいのです。神仏同体論というとわかりやすいですね。

如意輪観音=宗像五社の織幡明神の本地仏
釈迦如来宗像大社中津宮の御祭神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)の本地仏
大日如来宗像大社沖津宮の御祭神・田心姫神(たごりひめのかみ)の本地仏
薬師如来宗像大社辺津宮の御祭神・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の本地仏

阿弥陀如来=この一帯を支配していた一族の神、許斐(このみ)権現の本地仏

ここまでくると、神様や仏さまに本心でぶつかっていくしかありません。
自分が今日いろんな神様仏様に対してお詣りした時の思いが混在して、ぐちゃぐちゃになってきました。
正直なところ、自分の思いがWhyなのかHowなのかWhatなのかわからなくなっているところもあります。
でも私は幸せになりたいのだという思いは、変わらないのです。
やりたいことも変わらない。
捨てたいものもそう。
シンプルだけど、シンプルな言葉で参ると、アバウトにしかとらえてもらえそうになくて。参りながら、いやこの言葉ではないな、もっと具体的に、、と思いながら参ります。毎回のお詣りはこうしてぐちゃぐちゃとしたものになり、毎回時間がかかります。そして何を結局参ったのか、覚えてないような状態に^^;

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最後は、護摩堂へ。
不動明王様が祭られています。不動明王大日如来の化身とも脇侍とも言われているみたい。大日如来=天照大神と同一視もされているらしい。
今日の一日の締めくくり。

さっきと同じように、参りました。
問答のようになるのです。
私の願いは、、、とお願いをしていると、あれ、もっと具体的な直接的な言葉の方がいいなと思い、でも「これがほしい」というのでもない。こうでもないああでもないと思い返しながら、言葉を探していきます。神様の前で、自分を掘り下げているのかもしれません。
覚悟を持って神様の前に立ち、言葉を発しているはずなのに、自分の言葉に疑問が出てくる。これ自体は悪いことではなくて気づきなのでいいんだけど、神様が混乱されるかなぁ。

この文章を書きながら、で、結局私は何を望んでいるのか?と自問しながらお風呂に使っていました。
しあわせになりたいことも正しい。
そのために、自分を認めること、自分を肯定することをしたい。
結局これがなかなかできなくて、他のことをしていても芯からつながっていってないような状態に陥ってきて。
でも、正直なところ、自分を認めるとか自分を肯定することって、大変むずかしくて。
まずはそれを阻害する外的要因をはずそうとしたものの、あえなく今ストップがかかり。
じゃあ、今の状態の中で何をすればいいのか、考えあぐねて体調不良に至っている有様で。
まずは健康がなければ、この思考と行動をすることができないので、幸せになるために健康になりたい。健康をください!となる。

じゃあその先は?
自分が自分であることや、愛されたいということを素直に口にしたい。
でもきっとその対象者が今いないのかもしれない。
今頭に浮かぶ人は、私を否定する人だものなぁ。
じゃあもういいやってなってしまう。
これは自分が自分に対して思ってる姿なのか?

私自身がどんなことに感じてどんなことにひかれるのか、
今一度じっくり体感したい。。。というしめくくりで終わり。

いろんな人生それぞれな人たちとご一緒した、今回の宗像大社&鎮国寺ツアーでした。

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鎮国寺に行ってみた①

はーい。今度は鎮国寺。宗像大社から車で3,4分という感じの場所にあります。
鎮国寺は、弘法大師が大同元年(西紀806年)、唐より帰朝後、日本で最初に開閣せられた真言宗の最も古い寺院なのだそうで。
弘法大師と言えば、またまた出てくる私の父。
彼が亡くなった後にいたこのような方にお願いして、死後の父の話を聞いたのだけど、その一部「弘法大師様の杖にすがらせてもらおうと思うにも、手が上がらず捕まらせてもらえない」となく父。
あれからこちらでは30年ちょい経っていますが、そろそろすがらせてもらえているでしょうか?

弘法大師さまには東長寺でもお参りさせていただきました。

去年だっけ、夢で見たんです。そして言葉だけが残ってるので、携帯にメモってる。「弘法大師さまの権限権利を守るCMを作る」

はあっ?って感じでしょ? 何にも知らない私がなぜにそんなことを。権限権利ってなに? CMやさんでもないぞー。少しはやってはいたけど、コピーはかけない。

 

ま、そんな思いでまずは入口の仁王様方とお地蔵さまにご挨拶。
仁王さまは、門番的にいらっしゃるということもあるけど、お参りの方に、不動明王様にちゃんとこんなことをお願いに行くのです、そのために嘘をつかずにまいります、と私たちがここで準備をするためにおられるとのこと。いい加減な思いできているのなら「どんなことをかなえたいのか?」ここで思い出させる役なのかな。

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こちらのお手水は、竜の口から。そういえば入り口のお地蔵さん横のお水、おいしかった。地下水かな。お地蔵さんにお参りして、水筒に入れさせていただきました。

まずは大師堂へ。弘法大師さまの座姿の像があるところです。
弘法大師さま=空海さま。真言密教を日本に伝えた方として、中学社会でも習う方ですね。
一般に「大師」というと弘法大師様のことを指すようです。人間として生まれ、入定(生きたまま、座位の形で即身成仏する修行)し、仏様になられた方。衆生救済のためにと生きられ、種々の学問にも精通して学者のような方であったともいわれているそう。そして真名井御前という天皇の側室だった方を生涯愛されたという、人間らしいところもお持ちの方。
イケメンですよねぇ。
信念を持ち、強く、女性を愛ぬくそんな人と出会いたいなら、弘法大師さまの行脚姿を浮かべてお願いすることがいいとか。

次はぼけ封じ観音さま。

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若干その気がでてきつつある母のことを、祈りました。
こちらの観音様、とても美しいのです。やわらかくて。
ボケることは、本人にとって楽な道。どうせならかわいくぼけた方がいいし、
一気にぼけたい。これは私の願望でもあります。
ま、ボケる前に生をもっとまっとうしたいですけどね。

お隣の文殊堂。
文殊菩薩さまは、剣をもっていらっしゃる。
一般に文殊菩薩というと学問や知恵の神様と言われ、みな「知恵を授けてください。勉強できるようになりますように」と願うことが多いと思われますが、実は「あなたはちゃんと知恵を使い、願いをかなえようとしているのか」とその姿勢について覚悟を問われる神様のようです。
答えは自分の中にあることを認めず、外に知恵を求め欲しがるのは愚かなことかもしれない。そんなことを思いました。

お隣にある大きな木になぜかカニがよじ登っていました。
宗像大社にもカニが居たなぁ。沢ガニなのかな?

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宗像大社に初めて行ってみた②

その②です。

さて、宗像大社は3人の女神が祭られています。
いちきしまひめ様がいらっしゃる本殿を後にして、奥の方を上っていきます。
結構登った。玄界灘が見えるよ~。大雨予報とは思えないいい天気になったよ、よかった。
右の写真、なんかいるかも?

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登り切ると、そこは高宮斎場。

宗像大社 公式ホームページ | 宗像大社について 辺津宮神域
ここは神がいらっしゃるところではなく、3女神が降り立った(龍の姿で3つの柱が降り立った)場なのだそう。なんらか儀式もあっていたのでしょうね。
なので、ここではお願いをするというのではなく、自由に歩いて感じてみてということで、うろうろしました。
その囲まれたあたりを見たらね、「私ここに居た!」と思ってしまったのですよね。
なんだろうね。そして妙に懐かしい気持ちがぐぐぐっと。来たことないんですけどね。こういうところ見たことないと思うんだけど。
女官か何かだったのかなー私。そういうのもアリかもねーなんても思うw そこに違和感はない。それかなんかそういう気をふっと受けたのかもしんないな。

さて、来た道をちょっと戻って右に。
第二宮、第三宮にお参りです。
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たごりひめさま、たぎつひめさまがお祀りされています。
たごりひめさまは女性の受け入れる部分、たぎつひめさまは孕む部分を象徴されているそう。
「自分は、男を(仕事を)受け入れる時にジャッジをしてきたか」を問われます。
正直なところ、そんなこと考えたことなかったんですよね、私。
その①にも書いたけど、「こんな私に好意を持ってくれるなんて」という思いは、主体性を全く持たない考え方で。自分じゃ、自分で考えてるつもり。でも肝心なところを相手に委ねていたんですよね。ありがたいと思うのはいいけど、でも私自身が自分が受け入れたいかどうか、何をどんなものを自分の中に取り込み、孕み生み出したいと思うのかを、改めて考えました。いや~、もしかしたらこれって初めて考えたかもしんない(^^;


まずは、そんなことを考えてなかった~~というショックにくらくらしながら、
たごりひめさまのところでは、「自分はお互いに高めあう関係性を持つ人との関りを持ちたい!」そういう人と関わりたい、受け入れたいとお話をしました。(なんかまったくお願いになってなくて、問答みたいな感じ。いいのかこれで)
たぎつひめさまのところでは、同じようなことになってしまうなーと思いながら、結局私がほしいのは「認め合えるパートナーシップ」なのだと気づきました。
現実的にも、今そうじゃない部分を取り戻すために、ぐちゃぐちゃになってる線をぶったぎろうとしてるところ。そしていきなりは困るー、少し時間くれぇと言われてるような状態。

須佐さんなんて言葉で言われていたかな。「宗像さんはこんがらがったところはぶった切ってくれるけど、それをまたつなげるのは自分でやらなきゃいけないから、その覚悟はいるよ」みたいなこと。
状況的に全くそういう感じなので、非常に納得感がありました。

今までの私に足りなかったのは、自分。ぐっと腹に力を入れて立つ自分。
こわいよーって縮こまってる自分で50年生きてきてしまったのかもしれない。
いや、途中ではガツンと行ってたし、本来の私はもっとたったか走る方なんだけど、かなり頭を打たれて手足を引っ張られて、動けなくなって、そして動き方を忘れてしまっていた感じ。
ホントここ20年はそうだった。

今回のお詣りは、おなかに力を入れて、私がここにいるということを意識して、歩いた(はず)。
途中すっかり忘れていたけど、少しずつでも身につくといいなと思う。
それには訓練訓練。体があるうちに体で覚えないとね。頭だけじゃなかなか、体中に入っていかない。

さて、お参り後のおみくじ。
開運招福お守り入りのやつを引いてみました。
だるまさーん。で、吉。

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内容的には、条件付きだけどよし。焦らず急がずいけということらしい。
努力を惜しまず、七転び八起き,、的なフレーズがなかなか厳しいけども。

さて、これから近くの鎮国寺へ。弘法大師ゆかりのお寺さんだそう。

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さ、いくよ~って、みんな結構元気です。一言一言笑いありw笑いばかりwww

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思っていたより大きくなくて、思っていたより親しみのあるところでした。また来ます。

鎮国寺にいってみた①につづく。

宗像大社に初めて行ってみた①

初めて宗像大社に行ってきた。

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【巡禮記_宗像大社】       
宗像三女神 
田心姫神(たごりひめのかみ) 
湍津姫神(たぎつひめのかみ) 
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る 
この三宮を総称して「宗像大社
 
日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社
および宗像三女神を祀る神社の総本社。   
須佐厳氏の先達(お参りの道案内)で
ご一緒いたしませんか?

という綾さんの企画。須佐のおっちゃんが先達です。先達がいらっしゃると、そこに祭られている方がどんな方で、どんな祈りをすればいいのかをお話くださるので、なんとなーくぱんぱんってするのではなくて、ちゃんと願いや祈りを持ってお参りに入りやすいのです。

私にとっては、このあたりの地、神社には少し思い入れがある。

私が19歳の時に亡くなった父親が、いろいろご縁があって通っていたのがこの地。
宗像大社、馬頭の観音様、宮地嶽神社

馬頭の観音様、宮地嶽神社は私も一緒に行ったことがあったが、
宗像大社だけはなぜか機会がなかった。
だから、今回のタイミングは、やっときた機会だった。

でも、参加しようと思ったのはそれだけではなくて。
これまでは、宗像大社が三人の女の神様を祭っていることすら知らなかった。
最近、世界遺産の話で、盛り上がってきて知ったくらい。

今年に入って、須佐さんに太宰府詣でを勧められたので、数回お参りしているのですが、
その中で浮島にいらっしゃるいちきしま様に勝手にシンパシーを感じてから、少し気になっていたのです、本社が。太宰府の浮島は分社なので、本社に行ってみたい気持ちもあり。

いちきしま様は、弁財天様と同一視されている神様。
財宝、美、芸能がキーワードかな。七福神で琵琶持ってる女性の神様ですね(インドじゃ戦闘の神様で性格的には違うらしい)。

上の写真のところは本殿。いちきしまさまのとこです。


で、お参りをする時、須佐さんから「これまでのあなたを通り過ぎてきた男性のことを思い出して、どんな関わりを持ってきたか、どうしてその男たちとうまくいかなかったのかを、包み隠さずいちきしまさんにお話ししてきなさい。」という指令。
「えっ、それって思い出せないかも・・・」と指折り数えてしまった私ですが^^;
「時間をかけてじっくりやりなさい」とのことで。
ホントに正直なところ、もう思い出せない状態だったりもするのです。時系列があやふやだったり、名前が出てこなかったり。。でも主要な人、思い出す人が関わりが深い人なわけで、、、お話してきました。
この作業は、自分の男性とのかかわりを客観的に見る作業。
手を合わせながらまず思い浮かぶのは、男性に対して「こんな私でも好意を持ってくれるのがうれしい」という卑屈な根性があること。
選んじゃいるんだけど、その自分の選択が途中から自分本位じゃなくなるんだよな。
なんてこともわかってるんだけど、結局は自分に自信がないことの表れで。
それから「○○さんとは、私が彼の弱さに耐えかねて関係を断ちました、、」なんてことをブツブツ言っていると、次の人も次の人も、、結局そうで、それがだんだん後になるにしたがって「男の狡さ、勝手さが目について、それに気づいたとたんにひゅーっと覚めてきた自分」を回顧・・・。

宗像大社は「祓い清め」をするところだと、須佐さんは言われます。
外から来たものとかというより、自分の中にあるものをちゃんと出し、嘘をつかないこと、それでどうしたいのかを言う場。それが祓い清めなのだと。

願いや祈りを口にする前に、まず自分の中にあるものを一旦出さないと、自分の願いが本当にそれなのかがわからないことがあります。
これが本当の願いだと思っているけど、実はそこは表面的な部分で、本当の願いは実は隠れたところにあったりする。だから、一つ一つ洗い出していく。そうすることで、その事象のつながりがわかったり、奥にある自分の思いがするっと出てきたりする。
・・・私が、仕事でやってること、その通りのやり方なのですよね。これ。

さて、ここで、一緒にお参りした方が号泣されはじめ、ああ、思いが出てくるとそうなることもあるよね、、って思っていたのですが、なんだかそれだけではないようで、
手が震えて、なんだか形相が変わっている。。。

今回、ご一緒していた霊能者
のまなさんが、除霊して正気を戻して、、ということをされて、

彼女は戻ってこられました。ああ、よかった。

何が起こってるのかよくわからなかったのですが、こういうことだったらしい。http://dragon-eye.jugem.jp/?eid=3037


その様子をみていて、怖い気持ちってのが湧かなかったなと今更それが不思議な感じ。
私の中で、封印している思いがあることを自覚してたんだけど。
それが封印されたままだからなのか、年月経って強くなったからなのか、それってちょっとわからなくてもやもやしている。???って感じ。


父が生きている期間って、ちょうど私も一番敏感な時期で、いわゆる「うけやすい」状態だった。
巫女体質とか言われていた。すぐ具合が悪くなってしまう。それが霊のせいなのかなんなのかわからない。原因がわからない。だから私は、こどもの頃はとにかくおびえていた。自分の心持では自由にならない自分の体調が怖かった。
今思えば、そういう恐れが症状を作っていた可能性もあるのだけど。ともかく「理由が自分でわからないものは対処ができないという問題」と本当にずっと戦ってきたように思う。

父は、私のそういうのも含めて、うちの家系の問題をちゃんとすると言って、
だから先祖供養をはじめ神様事をやっていた。
私は言われるままに、毎日の夢を報告したり、その神様事関係のことについていったりしていた。
この手のことをやる大変さも知っていたし、それ以上に私自身のからだが大変だったから、
神様事やそういうスピ系のものは深入りするのは興味はあるけどやっぱり怖かった。
父が矢面に立っている時は父が受けてくれるから、私には流れ弾しか来ない。
でも父が亡くなってからは直にくるようになった。

そういう時が感覚的にあったので、私は自分の中でこの敏感な自分を隠すために扉を閉めた。
意識的ではなかったけど、自分が気づかないふり、知らないふりをしてすごした。
その後いろんな機会があったが、閉じた自分だから、表面的になにをやっても何も変わらないという状態で時が過ぎた。

今回浮霊にあってしまった彼女を自分と重ねることがなかった今回に、
安心している自分と、??というのも感じている。
この??ってのは、処世術がうまく身についているのならいいのだけど、閉じた弊害が大きいから。
開くことに対する恐れが、大きくあるから。
でも、やっぱりこれかぁと感じる自分に、昨日気づいてしまった。
いや、うすうすは感じていたことだったんだけど、男性に対する怒りだと思っていたんだよね、これって。
それも確かにあるし、大きいんだけど、そのベースにはおそらくこの私自身の外からの刺激に対する恐れが一番あるのだろう。
私は巫女体質でも何でもない、とかの原因がわかってしまえば、これ自体は解消するのかもしれないなとも思ったりもするのだけど、そこらへんが正直今の私にはわからなくて。
ただ、やっぱり男性に対する怒りの中に、父親に対する思いもあって。これは昨日はっきりした。
ここに蓋をしていたのは間違いなく。
昨日父の日だったからか、、、なくなってから父の日に目を向けることなかったし、仕方のないことと処理しようとしていた私の中の辛い思いがいっしょくたんになって溢れてる感じがしてきて、もうそれからは胸に苦しさを感じていた。息がしづらい。
今回の彼女のことをきっかけに、父親のこと、父が神様事をしていた時分のことが妙にがっつりリンクして。思い出すのを少し避けていたこと、ああ、これもやっぱりみなくちゃいけないのかーって、またまた宿題的なものが増えた感あり。

本社横にたくさんの分社があって、「どこでもいいからお参りして」と言われるも、誰に何を祈るのか??なままに、見てみる。最初にあったのが「白髭神社」。
これまた父がしばらく探して参っていたところだったので、まずはここに決めた。
あとで須佐さんに聞いたところによると、白髭さんは、猿田彦さんなのだそうだ。太田さんやあまのうずめさんとセットでお参りするとよいらしい。
それから宮地嶽さん。ここもなかなかいけないので。
長く祈ってたらしいけど、何を祈っていたのか忘れてしまった。自分は何をしたいのか考えながら祈ってしまうので、何を祈ってるのか正直わからなくなることがある。本末転倒。
父とのリンクで懐かしさにハマってしまったかもしれない。自分の気持ちに正直に、、みたいなことをお話して、言いたいことを言えるようになりたいですー!と言ったような気がする。

その②につづく。



わかっていたことわかっていなかったこと

先日、ホルモンバランスヒーリングなるものを受けてみた。
(結果的には、多分いろいろ混ざっていたような)

自分で自分がわかっている時とわかっていない時がある。
これって、誰でもあること。
自分のことは主観的にしかみれないから。
客観的であろうとしても、自分の目線の延長線での客観でしかないので、
どうしても盲点がある。
そこを確認したい場合、他者にみてもらう。
他者にも癖があると思うので、今回新しい切り口の方に見てもらおうと。

結論的には、わかっていることとわかっていなかったことが、当然のようにあった。

わかっていたことで、かなり強調されて言われたのが、
「かなりの怒りがある」ということ。
そして、それは多くの場合、男に向けてのものであること。

その通りですね。

わかっていなかったことは、
「私の周りには、大天使がいる」とのこと。

ん~、気配を感じたことがないのですが、そうらしい。
おじいちゃんが来てくれてるということは、聞いたことがあるのだけど。

それから、私の中には大きな慈愛的なエネルギーがあるらしいのだが、
(これも前に言われたことがあって、私はこれを自分の中では「青白い光」だと認識している)
これと怒りのエネルギーが入れ代わり立ち代わり出てくるようだ。

このことは、なんとなく合点がいく。

それで、問題点は、この怒り。
いつの頃からか続いているのかわからない、このどろどろした怒りは、
存在を理解すればなくなるわけではなくて、いつも私の中にあって、なにかひっかかるものがあればどひゃーっと出てくるのだ。
消化しきれてないのだろう。だから残るのはわかっているんだけど、
相手がいたところで、そのことを言ってもわかってもらえない=大事にしてもらえない思いが強くて、消化できない感じ。

ちょっと書きだしてみようかと思ってるけど、、
で、ここに書こうかとも思ったけど、ちょっと痛くなりそうなので、
紙に書いてみる・・・


来週の振り返り日記。3/19-25

Happyさんのブログにそんなことがかいてあったのでやってみる。
ポイントは、具体的な行事ではなく、どう在りたいかの心のことを書く。


19日:朝から眠いけど起きれる。眠りながらでも弁当は作れる。今日の体調で1時間寝るもよし、朝から病院行くもよし、仕事を頑張ってみるもよし。
今日は大学の卒業式なので、呑む時間が死ぬほど多いが、ほどほどに。紅茶を持っていこうかな。気を遣わずに楽しい時間が過ごせた。また一年新しい気持ちで頑張ろうと思う。おなかもだいぶいい感じ。
20日:朝から公園掃除に起き、朝ご飯を食べてゆうすけとお買い物に。母宅にも訪問。
やるべきことはできて、きもちよい。体調よし!
21日:休み休み。家のことも片づける。お仕事もやればできる。気を向かせるようにしたい。
22日:東京行きの準備を進める。お天気というか気温が心配だけど、落ち着いて自分の整理ができますように。
ところで玄関の扉が変わった。新しいものになると気分が変わる。私も新しい自分になろう。扉だけでも。そしてピラティス。やると体が活性化するのはわかる。身体の状況をみながら「おお、結構いけるかも」と思うのが楽しい。究極の自己肯定!定着させたい。
23日:お仕事ディかな?やり残していることをとにかくやってみる日。こんな日があってもいい。まず積み残しのモノをやれば安心する。未来に向けての考察もきっと出てくる。ワクワク楽しみながら仕事ができるのはステキね。

24日:東京行きの準備は完璧かな?ドキドキしながらパッケージ確認しとこ。昼は先生とランチかなぁ?いい時間が過ごしたいな。ぎゅーっと凝縮した。ああ、ご飯は作らねば。

25日:さて東京に行ってきま~す。時間との勝負だけど、六本木の桜が見れるとベスト!見たい!そして神崎くん、千佳ちゃんとの再会が楽しみ。

AFPハーフディ体験記(途中だよ)

体験記の前に、その前の振り返り日記は、書いたことすら忘れていたけど(´-ω-`
まあ、外れてはいない。(この後の一週間の方がちょっと大変だった。日記を書いてないからかもしれない、、、)
ということを、告白しておいてからの、AFP体験。

AFPとは、アート・オブ・フェミニン・プレゼンスの略。女性の身体を持って生まれた、女性としての自分らしさを受け入れ、知っていく探究のための簡単なダンスや意識のストレッチ、コーチング、瞑想など様々なエクササイズをやるものらしい。

AFPジャパン公式サイト

あみちゃんに、紹介されたんだけど、サイトをみてもなんかいまいちわからない。いやわかるようでわからないといった方が正しい。
ただ、この手の言葉には非常にひっかかる。
こうでなくてはいけない、というイメージが強要されることも、ハードな修行のようなワークもありません。
自分の身体にくつろぐこと、頑張るのをやめること、などにフォーカスします。
外見上も、その女性らしい魅力が溢れ出し、意識は軸がぶれなくなり、自信が出てきて、人前に立つことも、異性を惹きつけることも、望む仕事や注目を惹きつけること、関係性や性生活の改善、体調やホルモン的なコンディションなど、あらゆる領域においてその人に必要な、驚くべき変化が起きていきます。
「もう頑張って変わろうとしなくていい。」この実感を手にした女性達から世界中に広まりつつあり、日本でも実践者増加中です。

というので、半日体験に行ってみました。

集まった女性は講師のマハンタさんを入れて9名。
導入ワーク:円座で、なぜここに来たのか。何を持ち帰りたいのかをシェアするワーク。安心で親密な器を作り、その中にインしていく。だから大丈夫という気になれる。

私はなんて言ったんだっけ。忘れた。自分の女性性や課題に対してこうだろうなと思うことはある。それを自分で体験して腑に落として持ち帰りたかったのかな。


あれ?次なにやったんだっけ?なんか忘れてしまう。順番通りじゃないかも。


・子宮スペースを感じるワーク:呼吸、体のワーク
⇒い、いまいち子宮スペースがわからないかもヽ(´Д`
子宮スペースは、おへそ下10センチ5センチ奥!あれ?10センチ奥?


・ヘッドバブル・子宮スペースに居て語るワーク:「朝起きてここに来るまでを語る」ペアワーク。私はY子ちゃんとのペア。Y子ちゃんのヘッドバブル状態がものすごくて笑、聴いてる方も疲れるw
⇒ヘッドバブル状態って??つい朝起きてからを時系列に語る。思ったことも入れてみるが、それってこういうことだったんだとつい解説も入れる。いつもの私の思考で語る。これヘッドバブル?Yちゃんのはじけたヘッドバブルとは全く違う。。。

・中性、男性、女性になりきるワーク:
頭の中で中性のカラーをイメージ。私は黄色の球が浮かんだけど、その色もしくは中性のイメージの服を着てその人になりきるというので、タートルネックの白いセーターにして、下はベージュのスリムなパンツ(スパッツ系)裸足かペタンこの靴を履いてる。


・・・時間切れだぁ。明日早起き弁当づくりなので、また後日・・・